Dec.31 「修行へ」

■修行のため東京をはなれる。
■その車中、一年を振り返り、夏、あんなにやせたことを反省した。来年もあれを繰り返したら死ぬ。このまま体重を落とさないように気をつけよう。しかし修行中である。盆も正月もあるものか。だがメールは受けられるので送ってほしい。せっせと修行に励むものの、天皇杯サッカーは見る。今年こそエスパルスに優勝してもらいたいのだ。

(2:20 Jan.1 2002)


Dec.30 「片づけと準備」

■修行のため東京を離れる準備の日である。片づけとコンピュータのデータを運ぶための用意。メールや、小説のデータをまとめるのは面倒な作業だ。
■こういうとき困るのが、知人のサイトなどのURLを記録して運ぶことで、つい忘れてしまう。するともうそのサイトにゆけない。以前、京都から帰る直前、知人から自分のサイトのURLが変わりましたとメールが来たのでそれを持って東京に戻ったら、それがウソだった。もうその人のサイトには行けない。

■きのう書いた「30歳を過ぎ出産してから芝居をはじめた方」は、じつはテレビにもよく出ているある俳優の奥さんである。書いたものをプリントアウトして俳優のだんなさんにも見せたという。そのだんなさんもある年齢になってようやく売れるようになったせいか、「僕なんかよりずっと早く世に出た人たちのどれだけが消えていったか」と書いた部分を読んで少し涙ぐんだそうだ。
■そんなふうに読んでいてくれる人がいる。
■いろんな感想や意見してくれる人がいる。
■僕のサイトのURLは覚えやすくてよかった。まず忘れないだろう。u-ench.comとだけ入力してくれればそれでいい。忘れようったってそうそう忘れない。

■しかし子供もいいなあとその方の話を読んで思うのだ。子供を作ろうかという気にもなるのだった。ただ名前をつけるときついふざけた名前を思いつきそうで困る。「肉」っていうのはまずいだろう。「宮沢肉」とか、あと、「宮沢牛」はどうだ。どんなふざけた名前でもいいから生んでもいいという人がどこかにいないだろうか。
■そんなことを考えているうちに今年も終わる。
■冬の大学で苦労し、五月の袋井の『月の教室』に全力を注ぎ、七月まで大学の発表公演で死ぬほど働いて10キロ以上やせ、精神的におかしくなって九月からウツとパニック障害。はじめて精神科の治療を受け、ここにきてようやく落ち着いてものが考えられるようになった。激動の一年は短かった。そして秘密の修行へ。これもなにかの転機である。

(3:30 Dec.31 2001)


Dec.29 「さらにニュー高田について」

■Mさんという方からメールをもらった。「ニュー高田」についての情報である。
「ニュー高田」のことですが、おそらく高田馬場にある少々薄汚いラブホテルの名前ではないかと思われます。ちなみに「ニュー高田」の正面には、「山手卓球」というこれまたいい味の卓球場があります。
 やっぱりそうか。そんなことじゃないかと思っていたのだ。「ニュー高田」のライターを持っていたのはある女性だったが、「なんだ、これ、ニュー高田って」と僕が言うとちょっと動揺し、なにか言い訳したあと、「あげます」とくれたのだった。それですぐにぴんときた。まあ、ぴんとくることは、ラブホテル関係でなくてもいろいろあるが。
■ラブホテルにあるものは絶対持ち帰らないというのは鉄則である。なぜそんな基本的なこともわからないのだ。ライターやマッチなんかもってのほかだし、湯飲みはまずいし、浴衣を着て外に出ていったらそれこそばかものである。人は誰だって同じようなことをしているんだから恥じるようなことじゃないが、動揺するくらいだったら鉄則は守らなければいけない。でもまあ、そういう趣味の人もいるかもしれない。ラブホテルのグッズを集める人。他人の情熱はわからない。
■年の瀬にふさわしい話題だった。Mさんに感謝しよう。

■三〇代になるある俳優志望の女性からメールをいただいた。「私は結婚し出産し育児のさなか30歳を過ぎて役者を目指し始めましたので、まさに『ふつう始めないと思う、演劇をそんな年齢から』の通りです」とあって、きのう書いたことを読み、
初舞台から約4年、今年は何本かの自主映画に参加し我ながら果敢に挑戦したものだ、と満足すれば良いものを[焦り]が立ち上ってきていました。そんな矢先に「早く手を離したら矢はぽとっと下に落ちちゃうだろう」 の一文を読んだのです。「引っ張る力を鍛える時間」、そうか、そうなのか、とまぁ勝手ながら安堵と勇気を戴けました。
 と書かれていた。そう感じていただいたら幸いだ。
■あと、「他人のことを気にしない」も重要で、メールの方ははじめて出た舞台で共演した俳優が、映画に出たりTVで売れていることに「あせり」を感じているという。それはほんとうに無意味である。これほど考えてもしょうがないことはない。なにしろ考えてもなにも生まれないからだ。そんなことを考えているひまがあったら勉強しているほうがいい。「引っ張る力を鍛える時間」にあてたほうがいい。
■人は人、自分は自分。当たり前のことを書いてしまった。そして「あせり」を感じる相手などそれほどたいしたものではないとほっとけばいいのだ。
■僕なんかよりずっと早く世に出た人たちのどれだけが消えていったか。
■気にする時間はほんとうに無意味だ。ラブホテルグッズを集めるほうがずっと価値がある。

(3:02 Dec.30 2001)


Dec.28 「ニュー高田」

■一年を振り返りがちな季節である。
■まあ、八月ぐらいに一年を振り返ってもわけがわからないので、人は12月も押し迫ってようやく、「今年はあれだな……」と語り始めるのがふつうだ。やはり9月11日ということになるのだろうな。あの時期、あの日は、個人的にもどこかおかしかった。なにか奇妙な力を感じたし、小説を書くこと、もっと学ぶ必要を感じた。『非戦』は一日にひとつの文章を読むぐらいのペースにしようと思った。ゆっくりやる。本を読むことばかりではなく、急いだところでいいことなんてちっともない。ゆっくり読んで考える。

■僕が仕事をはじめたのは24歳のときで、舞台をはじめたのは26歳。かなりゆっくりというより、ふつう始めないと思う、演劇をそんな年齢から。小説を書きはじめたのは30歳を過ぎてから。文芸誌にはじめて発表したのが40歳を過ぎてからで、とにかく遅い。でも遅くてもべつにかまわなかった。早ければいいってもんじゃないし。なにごとも。
■若い者らからよく相談される。なんだかわからないが、みんなあせっているのだ。
■ポテンシャルをためるっていうか、弓を引くような感じでそれをどこまで引っ張っていけるかという時間なんだと思う。早く手を離したら矢はぽとっと下に落ちちゃうだろう。ぎりぎりのところまでひっぱる。それでいいんじゃないのだろうか。引っ張る力を鍛える時間でもあるのだろうけれど。
■30歳近くになってから益子焼きの修業をはじめた知人の女性がいた。窯元に入って無給に近い労働状況での修業。えらいなあ。でも時間や年齢は関係がない。やりたいことに生きる。無給でもべつにいい。金のことはあまり気にしない。金にならなくても、やりたいこと、勉強になることだけをする。すごいと思った。

■『批評空間』の「帝国と原理主義」という座談会を読む。面白かった。
■ある人が持っていた百円ライターがなぜか手元にある。「ニュー高田」という文字。なんの店のライターなんだ。

(1:12 Dec.29 2001)


Dec.27 「京王閣だった」

■杏林大学付属病院へ。
■年末だからか受診者が多く、すごく待たされた。読もうと思っていた本を持ってくるのを忘れたのでバックにあった小島信夫の短編集を読んで待つ。
■そういえば、このあいだ病院に来たとき京王線を調布から帰り、「橋本行き」の電車にくすんだ色の男たちが乗りこんでゆくのを見たと書いた。その先に「多摩川競艇」があると記してしまったが、ある人からメールをもらって、「京王閣」という競輪場だと教えられた。知らなかった。競輪場といえば、あらゆるギャンブル場の中でももっとも「荒れている場所」ではないか。競馬は若い女も集まるが、競輪はいまだにすごいと話を聞く。競馬は「馬」が重要だし、「競艇」は「ボートとそれに付属するモーター」が鍵を握るが、「競輪」はもっぱら「人」である。選手である。真のギャンブラーはそこにロマンを見る。「京王閣」はきっとすごいことになっているにちがいない。

■で、小島信夫の小説を読む。
■よく読むとかなりくだらないことが細密に書かれていることに気がつき、横光利一の『機械』に通じるところがある。たとえば『吃音学院』がそうだ。「吃音」とは「どもり」のことだがそれを克服する治療をするのが「吃音学院」で、主人公の「僕」はべつの三人の人物と学院に合宿して治療を受ける。その一人に、「き、きみは、あ、あんまり吃らんやな、ないか」「ど、どもりというのは、う、うそやろう」と因縁をつけられる。それで反論するが、反論して相手を黙らせたあと、「僕」は思うのである。
これから此の男と毎日くらすのだが、この男の前では油断なく吃って見せないことには、どういう因縁をつけるかもわからない。
 ここで私はちょっと笑った。よくわからないことでも人は困難を感じるものなのである。それにしても、「吃り=どもり」がATOKで漢字変換されないのはやはり「不適切な表現とその用語」ということになっているからだろうか。まあ、それはいい。小島信夫に関してあまりいい読者ではないので多くを書けないが、「小説」なのだとつくづく思う。「物語」ではない、「小説」である。橋本治が『わからないという方法』で、志賀直哉の「描写」をひいて書いている「説明」についての論考と併せて考えるべきことがあるが、まだまとまらないのでいつか書く。これは、「小説ノート」に書くべきことだな。
■「小説ノート」だが、主人公の「ルシ」に対して「どうでもよくなってきた」と書いて以来、小説そのものへのモチベーションが下がって困っているのだ。その人のことを書きたいのだ。書く。きっと書く。

(0:06 Dec.28 2001)


Dec.26 「いかにも年末である」

■今年も終わるのだった。
■夕方、ちょっと用事があって外に出る。オペラシティのイルミネーションはまだ片づけられずクリスマスの残骸、年末の慌ただしさ、コート姿の人々は急ぎ足、よくわからない人たちがベンチで休み、吐く息は白くてこの時期に特有の心地よい夕暮れ。
■『批評空間』など読む。

■やっぱり舞台は公演だ。リーディング『アンヌ・マリ』をやってよかった。稽古もいいけど公演のときのあのにぎやかさはなんだか楽しい。東京、京都と二公演あったのもよかった。で、次の遊園地再生事業団の本公演について考えるべき時期になってきた。もう一年しか時間がないのだ。ワークショップをいくつもやってきて、舞台に出したい者らも何人かいるし、久し振りに一緒に舞台をやりたい俳優たちも多い。だからって全員出すわけにもいかないのが悩むわけだが。
■しかし、なにより「作品」。なにを、どう、舞台にするか。この二年で考えていたことを形にできるだろうか。前に進めるか。また異なる表現を試すことができるか。休んでいたことに意味があったか。いろいろ試される。もっと勉強するべきだったといまになって後悔する。読むべきもの。見るべきもの。ゆくべき場所はもっとあったはずなんだ。まだ遅くはないが、時間もない。
■自転車のことばかり考えてる場合ではなかった。

■で、年末から一月いっぱいにかけ、わたしは秘密の修行にはいる。
■このノートに詳細は書かない。なにしろ、「秘密の修行」である。東京には戻らない。どこにいるか場所も教えない。外国かもしれない。秘密は秘密だ。修行である。修行中にメールで原稿を送ったりするのはなんだか「秘密の修行」っぽくないのがあれだが、ノートは書き続け、小説もせっせと書いているのではないだろうか。それでも秘密。天皇杯サッカーを見たり、箱根駅伝も見たり、初詣にも行くおそれがあるが、秘密は秘密なんだからしょうがない。

(2:51 Dec.27 2001)


Dec.25 「鍼治療と、その他のこと」

■午前中、『資本論を読む』の原稿。午後、『ガルヴィ』の原稿を急いで書き上げ、夕方から腰の鍼治療。時間があったせいかたっぷり鍼を打ってもらった。だいぶ楽になった。年内にもういちど治療してもらう。これでなんとか年は越せそうだ。
■べつの書評原稿を書けば今年も仕事が終わると思っていたら、編集部が休みになるので締め切りは1月8日でいいとのこと。その編集部、休みすぎではないだろうか。マガジンハウスめ。結局、僕も年内の仕事が終わった。あとは好きなことをする。本を読む。小説を書く。そのための調べもの。Webを作る。その他。

■鍼治療のあと新宿の青山ブックセンターへ。
■橋本治『わからないという方法』は集英社新書に入っていた。滋賀のKさんからべつの本に橋本さんが「わからないという方法論」という文章を書いていると教えてもらったがそれとはどうやらちがうものらしい。ほかに、『批評空間』。
■『非戦』のなかに、どうも感覚的にというか、生理的に読んでいて肌にあわない文章がひとつあった。だめだった。どうにもだめだ。よく読むとこのあいだ書いた「ピースウォーク」の人の文章だ。
■重信房子の娘、重信メイも書いている。当然ながらパレスチナ側からの視点が強いものの読ませる。経歴を見ると重信メイは一九七三年生まれ。その年の四月、ある左翼党派と僕自身が関係を持ったのを思い出した。高校二年だった。時間の流れを感じる。遠い過去。
■「ピースウォーク」の人の文章が悪いわけではないものの、それより、数字で示される世界の情勢を分析するリストの力は強い。たとえば、世界貿易センターの犠牲者を追悼するミサがニューヨークの教会で開かれたニュースが大きくとりあげられていたことと次の情報を比較してみるといい。
今日もまた、3万5615人の子供たちが飢餓で死んだ。

犠牲者 3万5615人
場所 この惑星の貧しい諸国で
特集号 なし
新聞論説 なし
共和国大統領のメッセージ なし
非常招集 なし
連帯の表明 なし
黙祷 なし
犠牲者追悼式 なし
フォーラムの開催 なし
教皇のメッセージ なし
株式市場 相変わらず
ユーロ相場 回復
警戒水準 変わらず
軍隊の移動 なにもなし
犯罪を識別する推測 なにもなし
可能性のある犯罪の委任者 豊かな諸国家

世界人口の20%がこの惑星の資源の80%を消費している。
 あるいはつぎのようなリストもある。
中国(一九四六、一九五〇〜五三)
韓国・朝鮮(一九五〇〜五三)
グアテマラ(一九五四、一九六七〜六九)
インドネシア(一九五八)
キューバ(一九五九〜六〇)
ベルギー領コンゴ(一九六四)
ペルー(一九六五)
ラオス(一九六四〜七三)
ベトナム(一九六一〜七三)
カンボジア(一九六九〜七〇)
グレナダ(一九八三)
リビア(一九八六)
エルサルバドル(一九八〇年代)
ニカラグア(一九八〇年代)
パナマ(一九八九)
イラク(一九九一〜九九)
ソマリア(一九九三)
ボスニア(一九九五)
スーダン(一九九八)
ユーゴスラビア(一九九九)

これは今アフガニスタンを爆撃し続けている国が、第二次世界大戦が終わった後で、戦争状態になった国、もしくは爆撃した国のリスト
 なにも説明することはないと思う。

■政治だけに関することではないが、演劇でもそうだし美術にしろ芸術一般について発言すれば、かつて僕が「笑い」に関わってきただけに、「笑いを作る側」から、いわば「えらくなった」とか「笑いを忘れた」「だめになった」といった批判がくるのは容易に想像できる。ただそれは20年ぐらい前からずっと言われ続けていたことだ。いまにはじまったことじゃないのでべつにどうも思わない。そのとき考えたいことを考える。
■たとえば、あるお笑い劇団を主宰する放送作家のTさんから「またむつかしいことやろうとして」とかよく言われたが、その方とは番組でも一緒になったり舞台も見たが、はっきりさせておかなくちゃならないのは、「だったら、俺より面白いことを書いてくれよ」ということだ。面白い文章を書いてほしい。面白いコントを書いてほしい。企画会議で僕より面白いことを発言してほしい。
■なぜかそういう方に限って、面白くなかったのだ。
■「笑いをまっとうする」といった考え方は、あれもまた文学主義であり、ロマンチシズムだ。そんな発言より面白い笑いを。「笑いを守ろう」などとがんばっても面白くなければ意味はないのだ。面白いものを書いてほしい、そういう人たちにはとくに。そして面白いことを書き続ける力はなみたいていのことでは可能ではない。

■なんだか説教じみた話になった。いやだいやだ。

(3:16 Dec.26 2001)


Dec.24 「新宿は人が多かった」

■東京へ。夕方の新幹線は混んでいた。席が取れずチケットを買ってから一時間後に発車するのぞみ。本を読んで時間をつぶす。
■新宿へ着くと町はクリスマスイブということでしょうか。ものすごい数の人。ばかばかしい気分になる。
■新宿駅南口からタクシーを拾うと、四谷からここまで五十五分かかったと運転手さん。クリスマスイブの夜である。カップルがよくプレゼントの交換なんてことをしがちだが、自慢ではないが、そんなくだらないことをこれまで一度だってやったことがない。っていうか、たとえもらっても、けっして、あげたことがない。自分勝手というか、そこまで気が回らないというか、とにかく考えたこともない。「形」があるものじゃなきゃプレゼントはプレゼントってことにならないのか。くだらない冗談を言って笑わせるだけじゃだめなのだろうか。芝居の稽古のとき、「ダメだし」のことを「プレゼント」と呼んじゃいけないのか。
■そういえば、『非戦』にあったのだろうか、「恋愛」以外の「物語」が成立しなくなったという話をどこかで読んだ。「クリスマスという物語」がわっと盛り上がる東京の繁華街。「物語」から遠く離れ、むしろ背を向け、ただただ仕事のことばかり考えている。

■で、わたしは原稿を書く。年末、印刷所は停止してしまうのだ。
■京都ではほとんどテレビを見ていなかった。不審船沈没のニュースのことをまったく知らなかった。
■世の中の現象はよくわからない。なにしろ、印刷所は休みに入ってしまうのだ。

(4:06 Dec.25 2001)


Dec.23 「また京都を去る」

■大学の発表公演を観にいった。三時開演なのに目が覚めたら二時過ぎ。あわてて用意しタクシーで学校へ。休日の道は空いている。烏丸通りを丸太町で右折。鴨川を超え川端通りを上がり今出川を右に。百万遍を直進。左手に「百万遍念仏根本道場」。右手に京大。脇道を入って白川通りに出る。それを北進。比較的、早く学校に到着。

■キャストがきのうと多少変わったBプロ。
■もちろん作品は、松田正隆さんの『月の岬』というすぐれた戯曲だが、演じる俳優たちが「若い」のは当然ながら学生だからで、技術的な問題だけではなく、表現されるものの「質」がまだまだ薄い。なかには何人か面白い学生もいて、それはストーリーに深く関わってこない男たち。面白かったなあ、男たち。
■女たちはたいへんそうだった。自分の経験の中にない情感をイメージしなければ出てこない表現の質。沈黙し、ただ黙って床に腰を下ろし、人の話を聞くだけの状態でなにが表現できるか。
■だがそれも経験。できないと苦しむのも経験。可能なレベルの場所で楽にやっていても成長はない。しんどい話だ。でもそれを選択してしまった。俳優を志望する者、あらゆる種類の表現者らは。

■腰は痛い。
■原稿は進まない。
■あした東京にもどる。部屋を片づけなくてはいけない。次に京都に来るのは3月の後半。桜の季節。いいだろうな、春の京都も。TREKの自転車を京都に運び、京都の町をこんどこそ観光しよう。

(3:10 Dec.24 2001)


Dec.22 「あいまをみては『非戦』を読む」

■悪化していた腰が、いよいよだめになる。そんななか大学へ二年生の授業の発表公演を観にゆく。AとB、ダブルキャストになっているので昼と夜、両方観ようと思ったが腰が痛いので昼のAプロだけ観て家にいったんもどる。Bプロはあした観ることにした。
■夜、遅い時間から関西ワークショップの面々、大学の学生らと京都の妙な店で忘年会。楽しかったが腰は痛い。ずっと横になっていた。
■結局、例によって、帰れない大阪、奈良、和歌山、神戸方面の連中のために朝までコーヒー屋にいた。

■あいた時間をみては、『非戦』を読む。
■だいいちに、1500円という比較的、安い値段で販売されたことに敬意を示したい。そして『非戦』がファッションにならないことを祈る。
■様々な国家の、様々な民族が世界に存在し、報道では伝わらない言葉が、様々な国家、様々な民族の立場、言語によって世界中で語られていることを本書から教えられ無知を思い知らされる。死の恐怖が語られ、自由が語られ、民主主義の重さが語られ、資本による環境を破壊する「ある意味でのテロリズム」が語られ、それぞれの民族が、国家が、膨大な数の難民や死者、死に瀕してゆく自分たちの土地をまえに呆然としている現実を本書から教えられるが、けれど、自由や民主主義の中心にいてそれを尊守していると信じている国家が世界に唯一あって、その国家はその名のもと、莫大な戦闘力と巨大な資本を背景に世界を支配し、そして真の破壊者として君臨している。
■アメリカ合衆国である。
■大きな声でしか語られない報道の一方に、小さな声で語られる事実がある。遠い声に耳をすませたい。砂漠の向こうからかすかな声がきっと聞こえる。
■巨大資本によって作られるハリウッド映画ばかりが、「面白いという制度」によって文化帝国主義的支配を続ける一方で、数多くの小さな映画たちが世界中で作られている現状を知ることが困難ななか、たとえば、『ランボー怒りのアフガン』でも観てみよう。そこではイスラム戦士たちが旧ソ連軍の共産主義者と戦う「正義」として出現する。ビンラディンとアルカイダや、タリバンを育てたのはCIAだ。事態は複雑。日本は底なしの不景気。だが、難民に支給される一枚三ドルの毛布が用意できない現実の裏側に、金融機関を救済するために使われる何億円もの税金がある。
■複雑な現実を単純化せず、複雑として考え続ける力。思考を持続させる力。『非戦』がファッションにならなければとただそれを祈る。

(19:34 Dec.23 2001)


Dec.21 「仕事をする」

■朝、京都は雨だった。
■大学の二年生の発表公演(松田正隆、作・演出『月の岬』)を見る予定だったが、朝日新聞の原稿も書いてないのを思いだし、『資本論を読む』といっしょに書かねばとあしたにすることにした。
■そう思っているうちに眠ってしまった。よく眠れた。人は眠っているとき原稿は書けないものである。まったく進まない。京都の部屋は床に座布団をひいてあぐら姿で原稿を書くのだが、これが腰にものすごく悪い。腰が痛くて仕事にならない。
■煙草を買おうと外に出るとひどく寒い。原稿と寒さで観光どころではない。東京に比べたら変化の少ない京都の町も、不在しているあいだにいくつか店が新しくなっているのに気がついた。家の近所にケーキ屋。ケーキ屋もいいけど近くにビデオ屋があったらいいのだが。
■『非戦』を少し読む。

(1:21 Dec.22 2001)


Dec.20 「今年の京都はやけに寒い」

■午後、四条にあるジュンク堂で、坂本龍一監修の『非戦』を買う。さらにE君のメールにあった橋本治の『わからないという方法』を探したが見つからなかった。京都は寒い。やけに寒い。自転車で走ると寒さがこたえてほかの書店にまわるのがいやになった。
■『ねじまき鳥クロニクル』を読み終え、『非戦』を少し読んでいたが、「JN」のTさんからしばしば催促の電話とFAX。申し訳ない。『資本論』を読まなくてはいけないのだ。

■さすらいのJリーガーと呼ばれた武田が引退した。
■そういえば寝屋川のYさんが誕生日だと言ってプレゼントしてくれたのは「太陽の塔」のミニチュアだ。すごくかわいい。去年、実物を目の当たりにし巨大さにすげえなあと思ったが、ものは、ミニサイズになるとなぜかわいくなるのだろう。たしか『徒然草』にもそんなことが書いてあった記憶があり、これはもう古来からの日本人の感覚かもしれずだとしたら「盆栽」の考え方もうなづける。
■かつて僕の舞台によく出ていて、いまはニブロールで踊ったり個人的にもパフォーマンスをやっている小浜がYさんに、「寝屋川って何県?」と以前、何かのおりにメールしてきたという。たしか、寝屋川はどこの都道府県にも属していないはずだ。

■ニュースをみると日本経済はただごとならない状況に陥っているらしい。アルゼンチンでは暴動と収奪。日本でそんなことが起こる気配はないのは不思議だがワールドカップでフーリガンが来たらなにが起こるかしれたもんじゃない。楽しみだな、フーリガン。
■逼迫した日本経済だが、あるところにはあり、ないところにはない。『ねじまき鳥クロニクル』で牛河という人物が口にする言葉は示唆的だ。
「ねえ、岡田さん、一人の人間が誰かを憎むとき、どんな憎しみがいちばん強いと思いますか? それはね、自分が激しく渇望しながら手に入れられないでいるものを、苦もなくひょいと手に入れる人物を目にするときですよ」
 こうしたルサンチマンを抱えた牛河のような人物が村上春樹の小説に登場するのがなにか不思議な気がした。村上作品を読まなくなってずいぶん経つので忘れてしまったが、こうした「情念」から遠いところにあることで村上春樹の小説は新しく、『風の歌を聴け』はそうして時代に迎えられたのではなかったか。そしてそれが七〇年代後半から八〇年代にいたる時代の空気でもあったはずだ。 この20年の変化。作家の変遷。だが、主人公の「僕」は20年間ずっと、まめに料理を作り、ビールを飲み、そして、女の子にもてもてである。
■『ねじまき鳥クロニクル』についてはほかにも書きたいことがあるので、それは「小説ノート」にいつか書くとして、とりあえず『資本論』を読む。

(0:48 Dec.21 2001)


Dec.19 「腰は痛い」

■一日に三度寝る。寒くて外に出るのがおっくうになり、小島信夫の短編小説を読みまた寝る。起きてまた読みさらに寝る。
■で、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の第三部が東京にあるのを思いだし、仕方がないので近くの本屋であらためて買った。三部の半分まで読んだ。相変わらず「僕」はもてもてである。
■夜、学生の発表公演のための稽古を見にゆく予定だったが、「たたき」(大道具・小道具などを製作する作業)がまだ途中で、稽古は中止と学生から連絡。たたきを見ていてもしょうがないし、あしたはゲネだというし、本番だけ見ることにした。

■ビデオでも借りにゆこうと思ったが寒いのでやめる。
■本屋にゆくとWebデザイン関連の雑誌がやけに出ているのが気になる。需要があるということだろうか。そんなに世の中、Webデザイナーが増加しているのだろうか。こういうときこそ、Illustratorの「ペジェ曲線の達人」を目指したほうがいいような気がする。Web作りにも役に立つにちがいない。以前買った『ペジェ曲線ドリル』は勉強になる。勉強になったはいいが、しばらく使わずにいたらすっかり忘れてしまった。
■いや、「ペジェ曲線」も勉強したいが、僕はいま小説のことだけを考えていたいのだ。腰も痛いし。関係ないが。

(0:38 Dec.20 2001)


Dec.18 「遠い70年代」

■編集者のE君からきのう書いた「わかる」ことなどについて橋本治さんの話をひきつつ書かれたメールをもらう。
■詳しくは『非戦』を読んでから書きたいが、彼がこのところ推薦している、『関心空間』のページを久しぶりにのぞいた。これはあれではないか。日本版『alt culture』ではないか。一昔前なら、『Whole Earth Catalog』だ。
■で、僕と同世代と思われる方が、『チープシック』という本を紹介していた。70年代に出た本。片岡義男が翻訳しているのが時代を感じさせる。お仕着せのブランド服ではなく安くてもシックに着こなすことはできると啓蒙する時代を反映した内容らしい。「チープシック」という言葉は僕はべつの本で知ったが「元ネタ」があったとは驚いた。そうだったのか。
■それはともかく、ほかにも70年代の小さなサイズだったころの『宝島』の話なども紹介されて懐かしい気分になった。自慢ではないがっていうか、いまでは我が家で置き場所に困っているというか、ゴミ状態になっているというか、小さなサイズだった頃の『宝島』を僕はほとんど持っている。いま出ている週刊誌スタイルの『宝島』とはまったく異なる種類の雑誌。で、悔やむのは、そのミニサイズの『宝島』の前に大判の『宝島』があり中学生のころ買っていたが、当時、読んですぐに捨ててしまったことだ。あと、小学生のときに毎月買っていた『COM』も全部捨てていた。だいたい小学生が、『COM』を読むのはおかしいのではないか。
■で、ミニサイズの『宝島』の初代編集長はたしか高平哲郎さんだったはずだ。朝日新聞のPR誌『一冊の本』に、「僕たちの70年代」というタイトルでその時代のことを書いている。以前も書いたようにこれは面白い。70年代サブカルチャーに興味があるなら必読である。
■もうずいぶん以前、池袋コミュニティカレッジのワークショップに来ていたS君からリーディングを見に京都まで来たとメール。滋賀のKさんからもリーディングの感想をいただきうれしかった。ほかにも、名前のわからない方からいいデザインの携帯電話情報。so503iのホワイトシルバーがそれ。ソニー製。見てみなければわからない。

■考えてみると、村上春樹の主人公の「僕」は女の子にもてもてなのはいかがなものか。でもある意味、中上健次の主人公たち「若衆」ももてもてだし、太宰治の主人公の「わたし」ももてもてで、「もてもて文学史」といったものを誰か書いてもらいたいが、それぞれの作家によって「もてもての質」はかなりちがう。あまり女性作家の作品を読んだことがないが女性作家でも「もてもて」は存在するのではないか。いずれにしろいい気なもんだよ小説家ってやつは。
■きのうは、姉小路の「コチ」、きょうは烏丸通新町上がるの「ルゴール」というカフェで読書。
■カフェの照明は暗い。目が痛くなる。関西ワークショップに参加しいまはステンドグラスを作る仕事をしているKさん(サイトのURL、東京に忘れてきた)は元々、京都市立芸大の出身だが、「ルゴール」はその京都市芸のOBが中心で運営されているという話。インテリアのセンスもよく店には美術作品がいくつもならぶ。60年代風な店のロゴ入りコーヒーカップが市販されていたり、おしゃれなのもうなづける。
■で、「ルゴール」は京都の自転車好きたちのたまり場でもあるらしい。

■京都は寒い。空気がきりりと冷える。固い冷たさだ。
■あと、京都に来たら関西弁の人が多い。あたりまえだけど。

(2:58 Dec.19 2001)


Dec.17 「いいデザインの携帯電話はない」

■さらに、くりかえすようだが、<akio@u-ench.com>は復活しているのであった。メールは、akio@u-ench.comにおねがいします。

■もう眠ろうと思っていたところ、「News23」に坂本龍一が出演。
■坂本龍一監修による、『非戦』という本について語っているのを見たら書かずにいられない気分になった。詳しくは、20日発売という『非戦』を読んでから考えることにしたいが、「9月11日の米国同時多発テロ」とその後の「アフガニスタン空爆」、この国の政治状況の変化は、「政治的」になるにしろ、あえて「非政治的」になるにしろ、「複雑」さを「単純」なものへまとめあげ、すぱっと解説しなくてはいけないかのように言葉を要求される。報道がそれを増長する。タリバンはなぜはじめあれだけ人々に支持を受けてアフガニスタンをまとめあげたか歴史的な複雑さなど省略して、いま現在の政治的状況でタリバンは悪だと安易にイメージづけられる。歴史は複雑。宗教や価値への認識はどこまでも妥協点がない。戦争。目に見えるものから、見えないものまで、すべて戦争。全面戦争。戦争は激化する。
■だから「わからない」と考え続けるしかなくて、それは単純に、「テロという犯罪行為」「報復への倫理的な違和」、あるいは、「悪と正義」といった単純なドラマツルギーみたいには整理できないのだから、「わからない」と考えるつづけ、安易な解答を出さないことこそ、「わかる」ことなのではないか。

■南と北の富の不公平。アメリカが進めるグローバリズムによって得するのはアメリカ資本とそれにくっついておこぼれをもらう西側諸国。そんなことを考えつつ、iPodがほしいと僕は資本主義的欲望に支配されている。なにしろ僕の近くでは銃声は聞こえない。
■携帯電話を買い換えたくてもいいデザインの機種がちっともない。そんなデザインへの欲望。どれもこれも炊飯器みたいな新しいデザインの携帯電話。かっこわるくて買い換える気にもならない。だけど町ではぱかっとふたを開けるみたいなデザインが横行。ぱかっとふたをあける平和な光景。そこには戦争のかげも見えない。
■それでも戦争。遠い国で戦争。戦争を背景に、南の貧困を背景に、「繁栄」がふたをぱかっとあけさせる。まるで炊飯器みたいだ。携帯電話のふたを開ければ湯気があがるかもしれない。「繁栄」の湯気が。だけどそんな国でも「不景気」という言葉は日常茶飯事。企業は倒産し、株価は下がり、失業率は日ましに増加、金融機関はどこもあぶない。口を開けば「不景気」。だけどふたはぱかっと開くんだ。湯気を上げながら。
■いいデザインの携帯電話なんてもうどこにもない。
■だけどそれが繁栄。うつろな繁栄。
■もう湯気もあがらなくなるかもしれない。

(12:14 Dec.18 2001)


Dec.16 「本を探す」

■くりかえすようだが、<akio@u-ench.com>が復活した。akio@u-ench.comでもメールが届くのでよろしくおねがいします。

■小島信夫と保坂和志の往復書簡『小説修業』の書評を書かなくてはいけない。
■で、小島信夫の小説を求めて古本屋などを自転車でまわる。どこにもない。といっても寒いのであまり遠くまではいかなかった。「講談社文芸文庫」に小島信夫の『殉教/微笑』が入っているのを丸善で見つけとりあえずそれでがまん。図書館を利用すればいいとはいうものの、とにかくある種の作家たちの小説が読めない状況はいかんともしがたい。で、小説ではないがいくつか欲しかった本が見つかった。いい日である。
■あと、『JN』と『ガルヴィ』の原稿があるのだった。
■京都には23日までいる。そのあいだ仕事をしなければいけない。さーっとすませて観光もしなくてはいけない。

(12:15 Dec.17 2001)


Dec.15 ver.2 「akio@u-ench.com 復活」

■なにがどういう仕組みでそうなったかわからないが、数日、<akio@u-ench.com>にメールが届かなかった。「転送」のシステムがどうやらいかれていたらしいので、「転送」ではない方法を使って、<akio@u-ench.com>を設定したのだが詳しいことを書くと面倒なので省略。とにかく、<akio@u-ench.com>でもメールが届くのでよろしくおねがいします。

■それはそれとして、リーディング『アンヌ・マリ』。京都公演は無事終わった。ゲネプロのとき舞台でやるのがはじめてだったせいか、塚本さんやけに力が入っていた。修正。本番は少し力が抜けてほどよくなった。宋は風邪が抜けず鼻水をすする。小田さんはさすがに堂々としている。ト書きの読み手である太野垣は少し余裕が出てきてよけいなことをする。
■世田谷のシアタ−トラムと比べて、大学内にあるstudio21は天井が低い。床にひいたパンチシートの赤に照明が反射し、天井を赤く染める。それが意外な効果になっていた。土曜日だったし、学校の授業がないし、学生がいないので客が来るか心配だったがほぼ満員。ほっとした。寝屋川のYさん、立命館のH君ら、関西ワークショップのいつものメンバーも観に来てくれた。
■上演後、シンポジュウム。面白かった。
■今回の仕事でなにより面白かったのは翻訳者の方たちとの共同作業だが、大学に来て以来、翻訳者、批評家、研究者、あるいは外国の方たちなど、これまで接触のなかった人たちと仕事をするのはとても刺激的だ。まあ、学生たちとばかな話をするのも大好きだしそういった柔軟さを失いたくないが、両方からそれぞれに刺激を受ける。そういった意味の大学はとてもいい。

■軽い打ち上げ。映像舞台芸術コースの学科長である太田省吾さんは、頸椎を痛め手術したという。一月に入院。「骨がつぶれてたんだよ」と太田さん。そのせいで数年苦しんでいたという。そして言ったのだった。
「この二年間、俺は人生が上の空だった」
この二年間というと、僕に大学の話があってからだから、そのあいだ太田さんは「上の空」だったのか。おどろくべきことだ。
■宋と、塚本君は、仕事があるのでほぼ最終の新幹線で東京に帰った。少しはゆっくり京都観光でもすればいいのに残念だ。
■その後、朝まで関西ワークショップの連中とからふね屋という24時間営業の喫茶店で話をしていた。楽しかった。そういえば映像コースのY君はずっとぼうず頭だったが春までに髪をのばしアフロにするという。で、僕が観るところ京大のKはぜったいアフロが似合う顔をしている。4月から東京のある会社に就職が決まっているというので、入社第一日目からアフロで通勤しろと言ったのだが、いやだという。ぜったい似合うのになぜいやなのかわからない。
■外に出たのは早朝の六時くらい。京都の朝はまだ暗くとても冷える。タクシーで烏丸御池の家へ。
■寒くなったせいか、部屋から虫がいなくなった。

(12:01 Dec.17 2001)


Dec.15 「緊急のお知らせ」

■僕のメールアドレス、「akio@u-ench.com」がどうも調子悪いようです。送っても届かないと教えられました。そこでフリーメールをとりあえず設定しておきます。

moon_akio@mail.goo.ne.jp

■こちらになりますのでよろしく。

(11:36 Dec.15 2001)


Dec.14 「京都へ」

■昼過ぎの新幹線で京都へ。
■久しぶりの京都。たまにはバスでと思って5番のバスに乗ったらやたら時間がかかる。
■大学で用意してくれた稽古場には、出演者の、小田さん、塚本さん、宋がもう来ていた。ほかに演出助手の太野垣、足立。また遅刻。悪いことをした。通しをいっぺんやってだめだし。軽い稽古。小田さん、だんだん慣れてきたのか、言葉がつるつる出てくるような、フレーズになっているのが気になる。新鮮さを取り戻してほしい。宋は風邪。声が枯れている。
■夜、studio21で、川村毅演出によるリーディング『地下室』を見る。
■学生たちに久しぶりに会ったらぼうずあたまに驚かれる。当然だが。京都は寒い。異常な寒さ。空気が東京よりずっと冷たい。
■あした(15日)、夜6時より、僕の演出によるリーディング『アンヌ・マリ』本番。たくさんお客さんが来てくれるとうれしいのだが。

(1:16 Dec.15 2001)


Dec.13 「病院と稽古」

■「ガルヴィ」で連載をすることになった。
■ただ、自転車はくれないという。連載中だけのレンタルだそうだ。といってもいったいどれくらいの期間の連載になるかわからないので、そのあいだずっとレンタルしているとなると、最終的にはただ同然で売ってくれるのではないかと淡い期待をする。話は、TREKという自転車メーカーの社長のところまでいったそうだ。こうなったら連載にはTREKのことを書きまくろう。TREKはいい自転車だとそればかり書こう。そのうち最新型の自転車をくれるかもしれない。TREKに関する個人的なWebを作ろうと思った。俺は作る。京都にいるあいだに神戸のTREKにも行き、例の、「マンシルさん」にも会ってみようと思う。意味はない。

■昨夜、かなりの深夜、あした病院だから眠らなくてはと思っているうちに、眠るために本を読もうと村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を読みはじめた。
■気がついたら第一部を読み終えていた。以前も書いたように、ある人が読んだというので「第一部」「第二部」「第三部」、三冊同時に文庫を買ったがなぜか読まずにいた。推薦してくれた人の「作品解釈」は面白かったのに読まなかった。「間宮中尉の話」に関して考えたことなど、「小説」について書こうと思うがそれは「小説ノート」に。

■朝から杏林大学病院へ。K先生のおだやかな表情。「いかがですか」と質問された。「だいぶ意欲が出てきました」と返事をすると、「よかったですねえ」とやはりおだやかな声。それでこのところの精神状態の話をする。話しているとまた気持ちが落ちつく。
■そういえば、杏林大学病院に行くことを薦めてくれた「島より松沢にゆくべきです」というメールをくれた方は、自分のことをほとんど書いてくれなかったが、ただ「30歳、法律事務所勤務」とだけあった。『ねじまき鳥クロニクル』の主人公の「僕」は、「30歳、法律事務所勤務」だったがそこをやめ、いまは無職という設定になっている。なんの偶然だこれは。

■帰り、「仙川行き」のバスが来ないので、すぐに来た「調布駅北口行き」に乗った。
■かなり遠回りだがなんだか楽しいバス旅行。窓から見える風景も楽しい。やたら「深大寺」がつく地名の場所やバス停が多いのが気になった。あと調布駅前に「パルコ」があったので驚いた。府中に住んでいたころの僕の記憶の中の調布とはだいぶちがう。
■駅のホームで電車を待っていると、べつのホームに「橋本行き」の電車が入ってきて新聞を手にしたなにやらくすんだいろの服を着たおやじたちがたくさん乗り込んでゆく。どこかで見たことのある風景だ。あ、そうだ。東府中に住んでいたころ休日になるたび見かけた競馬場に行く人たちと同じ種類の者らだ。そういえばその先に、多摩川競艇場があるのだったな。あれは競艇新聞だったのか。
■うちの父と妹が競艇マニアなので話を聞いたことがある。静岡県にある浜名湖競艇場は、湖とつながっているので水が循環しきれいだが、多摩川競艇場はただの池なので水が汚れており転覆などすると選手はひどい目にあうそうだ。
■調布から本を読んでいたらあっというまに明大前。京王線の特急は速い。

■夜、リーディングの稽古。遅刻した。みんなに迷惑をかけた。いよいよあしたは京都。宋は、ひとりで京都に行くのは無理だという話になり演出助手の太野垣たちに連れて行ってもらうことになった。そりゃあ無理だよ、記憶力がない人を京都に行かせるのは。
■さらに家に帰って、『ねじまき鳥クロニクル』などを読む。

(2:21 Dec.14 2001)


Dec.12 「ヤングのことなどについて」

■そういえば、きのうワークショップの打ち上げの席で「読書」の話題になった。
■28歳のO君が「これからはヤングの読むような小説を読みます」と言ったので笑った。「ヤング」はないだろう。もちろん英語の「young」は存在しているものの、日本語で使うある種のニュアンスを示す「ヤング」は死語ではないか。いまどき「ヤング」という言葉を平気で口にできるのは50歳以上の人間だ。
■「なにを読んだらいいですか」とO君。「阿部和重君を読め」と推薦すると、横にいた漫画家の安彦麻理絵のいとこで、早稲田の探検部に所属している安彦が「そうそうそう」というように大きくうなづいたので気に入った。さすがに探検部である。関係ないけど。阿部君はかっこいい。作品にも刺激される。『ヒネミ』の初演をシードホールでやったころ、シードでバイトし受付で切符のもぎりをやっていた。当時はそのへんにいる渋谷の若者だった。で、けっこうワークショップに参加している者らが「阿部和重の存在」を知っているのは意外だった。

■阿部君や僕は、渋谷パルコブックセンターなどの「売れている本ランキング」の上位によく位置される。で、僕が二位だったとき一位は、Tokyo No1 Soulsetのビッケ君の本だった。だめだよパルコブックセンター。そんなランキングがあるものか。世の中とは隔絶した場所にある。しょせん渋谷の公園通りの書店だ。
■阿部君や僕はそんな存在なのだろうか。パルコブックセンターか青山ブックセンター。安彦がうなづくのもしょうがない。なにしろ探検部だし。

■昼間、読書。夜、稽古。宋がかなりよくなってきた。リーディングを通じて、「朗読という訓練」による成長を見た。だけどジャンキー。ジャンキーも成長する。新たな発見である。
■あしたは朝早くから杏林病院の予約だ。精神科ってのはいつまで通えばいいのだろうか。ここんところだいぶ意欲が出てきた。パニック障害はまだ治ったかよくわからない。きっかけになった事件のことを思い出すとまだ少しウツになるのが困っているが。あさっては京都。大学でリーディング。京都はきっと寒いのだろうな。

(22:48 Dec.12 2001)


Dec.11 「ワークショップ最終日」

■昼間、稽古。少しずつ進行し手直ししてゆく。塚本さんの部分と、笑いを増やすことに集中。稽古が終わってから世田谷パブリックシアターのMさんと来年のフランスでのシンポジュウムのことなど話す。久しぶりにゆっくり演劇について話ができた。
■夜、池袋でワークショップ。最終日。いくつかにわけた班ごとに短い劇の発表。そのあとワークショップについて簡単に僕から話。簡単にすますつもりだったが講義のような形式になり、このところ考えていた「オウム」のこと「物語」について、演劇とからめて話す。世田谷パブリックシアターで以前やったレクチャーは準備がものすごく大変だったがたまにはこういった講義形式の授業もやってみたいと不意に思う。そのための勉強がしたいと意欲がわく。

■終わって、ワークショップの打ち上げ。以前、演劇ぶっくでやった一年間のワークショップに参加した伊勢が見学に来ていた。伊勢は、なんというのでしょう、人を幸福な気分にさせるというか、話をしても、表情を見ていても、一緒にいるとなんだかおだやかな気分になる。不思議な女だ。すっかり気分がよくなった。
■受講者からいろいろなものをもらった。ありがたい。そういえば太野垣と足立のプレゼントはエッフェル塔が中央に立っている灰皿だった。気持ちはうれしいが、意味がよくわからない。
■帰り、池袋から歩こうかと思ったが無謀なのでやめた。

■読まなくちゃいけない小説がまだ無数にある。カフカを再読しなければとふと思う。日本の数多くの作家たち。漱石だってちゃんと読んではいないのだ。

(1:39 Dec.12 2001)


Dec.10 「稽古」

■リーディングの京都公演のための稽古。
■手塚とおる君が京都には来られないので、塚本さんが新たに加わる。すでに稽古もし本番もやっている。リーディングについてだいぶわかったこともあり短い時間で稽古を終わりにする。あしたは塚本さんの部分を細かく稽古しよう。塚本さんのいい部分がもっと出ればいいな。
■もっと面白くしようと演出をいくつか追加。
■宋が、風邪で声が出ない。役者は風邪をひかない。油断もはなはだしい。
■よく、「負けずぎらいの、努力型」というのがいて笠木などはこのタイプ、負けまいとむきになるし、あと、「負けずぎらいの努力ぎらい」もいるものの、宋の場合、「負けてもよければ努力も苦手」というすごいタイプだ。その浮遊感。それが彼女のいいところだろう。ジャンキーだけになあ。やってないドラッグはないのではないか。ただ記憶力はない。
■演出助手の、太野垣と足立が、誕生日だったからと「つまらないものですが」と言ってプレゼントをくれた。きっとつまらないものにきまっている。

■帰り地下鉄で渋谷へ。買い物をすませバスで初台に帰る。
■バスを待っているとさすがに寒い。
■ピンチョンの『重力の虹』を少し読む。考えてみれば、このあいだ問題になった「ミンヤナ」も珍しい名前だが、「ピンチョン」もすごい。由緒ある名前だと本人は言っているらしい。『重力の虹』に刺激される。じつは昨夜ある知らせがあって、少し落ち込み気味だったが、それも僕に「小説を書け」とうながしているのでないかと思った。小説を書こう。

(2:53 Dec.11 2001)


Dec.9 「自転車で代々木公園を走る」

■午前中は鍼治療。久しぶりの早起き。
■午後から、『ガルヴィ』というアウトドアライフ雑誌の取材。はじめは原稿だけの依頼だったはずだが自転車に乗らなきゃ書けないとわがままを言ったので、編集者のNさんがクロスバイクを用意してくれた。

■TREKというメーカーの自転車。ものすごくかっこいい。しかも乗り心地は最高。車体が驚くほど軽い。で、買おうと決意したわけだが、Nさんが「ただでもらえる方法がひとつあります」という。「自転車に乗るエッセイの連載をすることです」。二つ返事で引き受けた。これから企画に出すというのでどうなるかわからないが、たとえなにがあろうと俺は手に入れる。連載して自転車がもらえるならもう「自転車」と「TREK」のことを書きまくろうと思う。ところで、神戸のTREKの広報担当の人は、「フランソワ」だったか「ボニータ」だったか忘れたが、どうやら外国の人らしい。関係ないが。(あとでNさんからメールがありマンシルさんと判明)
■撮影は、代々木公園。カメラマンの方が自転車にものすごく詳しい。いろいろなことを教えてもらった。自転車で代々木公園を走り回った。どこまでも走ってゆきたい気分だ。

■その後、『JN』の編集者をしているTさんもまじえうちに来てコーヒーを飲んでひとしきり自転車の話。カメラマンのYさんはとことんアウトドアライフの人だった。『ガルヴィ』にナイフのことが出ていたので、「いるよね、ナイフ好きな人」と冗談で言うと、「持ってますよ」とYさん。バッグからナイフを出した。『ガルヴィ』にはキャンピングカーの広告などがいっぱい出ている。知らない世界のことはわからない。ほんとに好きな人がおおぜいいるのだなあ。
■村上春樹の『アンダーグラウンド』を読んで、遠くから満員電車に乗って朝早くから通勤するのを苦に思っていない人たちが世の中にものすごくいる事実を知ったが、『ガルヴィ』はキャンピングカー好きたちだ。Yさんによれば自転車の世界は深いという。ヨーロッパで生まれた自転車の歴史は長い。のめりこめばどんどん深みにはまるという。ただ僕は「町乗り」でいい。ただ町が走りたいのであって山や森を行くアウトドアライフな自転車乗りにはあまり興味がない。

■それはそうと、Nさんは女性だが、大学時代、人力車サークルにいたらしい。代々木公園にその後輩たちがはっぴ姿でいる。どういうサークルだそれは。そもそも、なにを思って人は「人力車サークル」に入るかよくわからない。Nサンはその件についていっさい語ろうとしない。人に語れない秘密があるのではないだろうか。
■原宿から、代々木公園脇の道で、「PEACE WALK」というかなりの数の若い連中のデモを見た。いまどきのファッションをした若いやつら。アメリカのアフガン空爆に反対する意思表示だろう。複雑な思いで僕は見ていたのだった。

(0:21 Dec.10 2001)


Dec.8 「インド料理を食べる」

■夕方、大学の学生が銀座の画廊でグループ展をやっているというので見にゆく。
■なにより、画廊のある建物に驚いた。昭和七年の建築だという。エレベーターの戸を手で開けないといけない。すごかった。建築を紹介している「東京人」が画廊に置かれていたが、写真を撮っているのは、鬼海弘雄さんだった。
■鬼海さんといえば、「インド」の写真。やっぱり「インド」。「インド」づいている。で帰り、学生とインド料理屋に行った。

■寝屋川のYさんのサイトの掲示板によれば、2チャンネルに僕の名前による書き込みがあったという。内容は、「あげ」だけ。しかも僕とまったく無関係な場所らしい。書いた覚えがない。いったいなにが起こっているのだろう。そもそも、あの「age」ってやつの意味が僕にはよくわからない。
■ジュビロ、負ける。
■『こころを鍛えるインド』を紹介してくれたFさんから、「一生、ラジカルなじじいでいてください」というメールをもらった。ラジカルでいるのはたいへんだ。とりあえず僕にできるラジカルな生き方としては、安心しないこと。このへんでいいいやと思ったらもう終わりだ。ラジカルに攻撃しつづけ、学びつづけることのような気がしている。

■学生と話していたらもっと学ばねばならんといきなり決意。
■小説をせっせと読もう。『スローラーナー』『V.』『競売ナンバー49の叫び』と読んできたトーマス・ピンチョンの未読作品、『重力の虹』『ヴァイランド』を読まなくては。なんせ、これしか作品がないんだからすごいよアメリカの作家は。このあいだフランス人が、村上春樹、吉本ばななはわかりやすかったが、中上健次はむつかしかったと話していた。フォークナーや、ガルシア・マルケスを理解するように読まなくてはいけないのだと説明するべきだったのだろうか。フランス人が中上健次の「熊野」や「路地」といった概念を理解するのがむつかしいように、日本人にどれだけ、フォークナーの作り出すアメリカ南部の架空の町の空気や、マルケスの創造したマコンドの世界を理解できるかはよくわからない。でも、『百年の孤独』は面白かった。あれはなぜか。

(3:11 Dec.9 2001)


Dec.7 「一生ラジカルなじじいでいたい」

■Fさんという方から勧められた『こころを鍛えるインド』は初歩的「ヨガ・ヒンズー思想・仏教思想入門書」としても読め、とてもわかりやすかった。60年代ヒッピーカルチャーとのつながりなどLSDをはじめとするドラッグ文化の読み物としても読めるし、しばしばジョン・レノンの詞が引用されたり、ティモシー・リアリーの話、そこから60年代からはじまるコンピュータ文化、あるいはニューサイエンス関連につながってゆく。後半は実践的な初歩的ヨガ入門書。ためになる。巻末に附された参考文献を見ると、二十代のころ読んだ、『麻薬と青春』など僕と読んでいる本が似ているのは世代が同じだからだろうか。
■著者の伊藤さんはヨガの実践者でありインドを深く体験している。
■それに裏打ちされた言葉は強い。平易で、読者にわかりやすさを心がけた文体。けれど深い。ただ最新の脳医学と仏教思想、ヒンズー思想を結びつけるのは明快で面白いが安易にそうするのはいかがなものか。

■『約束された場所で』のあとがきで村上春樹は次のように書いている。
彼らは法廷でオウム真理教の教義の細部についての説明を求められると、しばしば、「これは一般の方にはおわかりにならないでしょうが」という言葉を用いた。そのような発言を耳にするたびに私は、そこにある独特のトーンからこの人たちはなんのかんの言っても、自分たちが<一般の方々>よりは高い精神レベルにあるという選民意識をいまだに抱き続けているのだなという印象を受けないわけにはいかなかった。
ここが印象に残ったのは、ある人と話をしているとき、「ステージがちがう」という言葉を相手が言ったのを思い出したからだ。『こころを鍛えるインド』は面白かったし、文体からにじんでくる伊藤さんの人柄のようなものにひかれるが、村上春樹も書いている「ニューエージ的言説がしばしば我々に肌寒い思いをさせる」のはそうしたところではないか。そもそもある思想段階を意味する「ステージ」って言葉がいやなんだけど。
■「こころ」は鍛えたい。精神的に高くなりたい。だがそのプロセスの課程で「限定された体系」しか認められなくなる。巻末の河合隼雄との対談で、それを村上は「箱」にたとえて語っている。思想は入れ子構造のような複雑な箱になっていてロシアのおみやげ品マトリューシカみたいに次々と箱が出てくるはずだが、ただ一個の箱の存在しか目に入らなくなる。宗教ばかりではない。左翼もそうだった。あらゆる思想はそうかもしれない。
■ただその肯定面もないではないと僕は考えている。つっ走って何が悪いという気もし、村上の分別のある大人ぶりも気持ちが悪い。ものわかりがよくなってしまうんだよな大人は。相対主義的になってゆく。時代の雰囲気が相対主義的だし。
■どこまでラジカルでいられるか。
■一生、ラジカルで、偏屈なじじいでいたいものだよ。ウイリアム・バロウズのように。ただニヒリズムには陥らないように。その暗さはもううんざりだ。

(8:01 Dec.8 2001)


Dec.6 「自転車で」

■『資本論を読む』を書いている「JN」、つまり「実業の日本社」が出している「アウトドアライフ雑誌」から自転車に乗って原稿を書くという仕事の依頼。じゃあ自転車をどこかのメーカーから借りてそれに乗らなきゃ書けないとわがままを言う。
■「借ります」と編集者はきっぱりと答えた。
■クロスバイクを手配するように頼む。9日到着予定。それ、誕生日なので、そのまま自転車をプレゼントしてくれるのはいかがなものか。原稿料はいらない。自転車でいい。
■すぐに折り返し電話がくる。TREKという神戸にある会社と連絡がつき使わせてくれるという。身長など聞かれそれにあわせて7500FXという車種がいいでしょうとのことだった。よくわからないが、むこうがいいというのならいいとしか答えようがない。楽しみだ。仕事はするものである。

■一日中、本を読んでいた。オウム関係の本たち。村上春樹『約束された場所で』、伊藤武『こころを鍛えるインド』など。あと小島信夫と保坂和志の往復書簡『小説修行』。 かつてドストエフスキーの『悪霊』を2日で読んだことがあるが、本を早く読むのは食事をがつがつ食べるのに似てあまりいいことではない。ゆっくり味わうべきだ。そうは思っても読めちゃうときもあるから困る。高校時代、『カラマーゾフの兄弟』を読んだときのあの時間がいまになると不思議だ。ただ淡々と漂うように読んでいた。どんなに時間がかかってもまだ時間が余っていた。いまとはまったく異なる時間がそこに流れていた。
■いまはせわしない。時間が一気に過ぎてゆく。
■マダガスカルでは、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』を読んだ。あれも特別な時間だった。『資本論』を読まなくてはいけない。柄谷行人さんの『トランスクリティーク』も途中だ。
■また外国に行きたくなった。

(1:06 Dec.7 2001)


Dec.5 「青山ブックセンター」

■マガジンハウスのNさんと新宿で打ち合わせ。
■ほんとうに久しぶりに会った。少し前までアンアンの編集長だった人。
■Nさんは数年前からヤクルトファンだそうで優勝を決めた試合も神宮にいたという。近くに、村上春樹。ここんとこなにかと村上春樹の話になる。どうやら、僕が見に行った10月24日の試合にも村上春樹は来ていたらしい。78年、ヤクルトがはじめてリーグ優勝した瞬間、外野席にいて小説を書こうと思いたったというのは有名な話だが、連日、神宮に来ていたとはよほどのファンだ。
■しかし、同じヤクルトファンでも『アンダーグラウンド』はいただけなかった。
■青山ブックセンタ−2を堪能。飽きない。2時間ほどいた。オペラシティの紀伊国屋とはおおちがいだ。いくつかの本を買おうか買うまいか悩む。外国文学に刺激される。もっと刺激してくれるものが読みたい。「からだ」に関する本にもひきつけられる。画集。写真集。デザイン関連。コンピュータ本。Webプログラミングについて勉強しようかと思いたつ。勉強したいことは次々に出現。そして、自分も書かねばと思うのだ。

(3:38 Dec.6 2001)


Dec.4 「こころを鍛えるインド」

■演劇ぶっくのワークショップに来ていたS君と新宿で待ち合わせし、『こころを鍛えるインド』(伊藤武・講談社)を譲ってもらった。古本屋の百円均一コーナーにあったとのことで、同じ著者の『身体にやさしいインド』と二冊で二百円で買った。
■持つべきは友と、古本屋である。
■新宿まで自転車で走るのが寒くなってきた。夜、池袋コミュニティカレッジでワークショップ。

■新しくインストールしたphotoshopやIllustratorのなかでも、CybreStudioがずいぶんアドビっぽくなったのが気になる。ほかのソフトとの連携が重視されたのだろうか。どうも調子が出ない。元々、GoLiveという会社が作っていたのをアドビが買収した。最初のver.1は、GoLiveのサイトから無料でダウンロードできたのだった。それからずっと使っていた。英語のマニュアルはよくわからないので自力で使い方を覚えた。ここにきてアドビ色が強くなるとなんだかいやな気分になる。
■あと関係ないけど、PowerMacG4(QuickSilver)は、純正のビデオカードの発色があまりよくない。これまで使っていたVooDoo3のほうがずっときれいだと思う。

■そういえば、リーディングの公演に関して、あるフランス人は、「ミンヤナがベケットのようになっていた」という感想を話していたそうだ。ミンヤナはもっとどたばたで観客が爆笑するような種類の芝居だそうだ。翻訳のせいだろうか。ちょっと硬かったかな。

(4:05 Dec.5 2001)


Dec.3 「下北沢のそば屋」

■『こころを鍛えるインド』が絶版になっていると書いたら、以前、演劇ぶっくのワークショップに来ていたS君から古本屋で見つけたとの連絡。譲ってくれるとのこと。助けられた。もつべきは友である。
■天気がいいので、昼間、外に出ようかと思ったが読書。
■あと、やたら眠い。
■オペラシティーにある紀伊國屋書店に行ったがろくな本がない。ものの見事にだめだ。よくもまあこうも通俗経済書を並べたものだ。青山ブックセンターが入っていればいいのに。
■マガジンハウスのNさんからものすごく久しぶりの連絡。書評を書かないかという依頼。
■『牛への道』の文庫本が増刷になった。

■下北沢にあるSというそば屋がつぶれたそうだ。
■東京でもっともまずいそば屋だった。なぜつぶれないのか不思議だったが、ようやくつぶれたと聞いてほっとした。美味しいそばを作ろうという努力をしないのが不思議でならなかったが、世の中とはそういうものなのだろうか。商売というか、仕事を適当にやっていればそれでまあいいという、なんというのでしょう、もっといい仕事をしよう、自分が納得するものを作ろうという意欲より、人生を楽しむことに価値を置く。それも人の生き方。否定はしないが、美味しいそばは食べたい。
■あと、美味しかったラーメン屋の味が落ちることがあり、「油断している」と感じることもしばしばある。人は油断する。まあ、適度な油断は人の精神にとって大事なのだと、精神的に疲弊してから僕もようやくわかったのだが。

(1:58 Dec.4 2001)


Dec.2 「フランス人たち」

■連続して公演されたリーディングの一環として「フランス現代演劇特集 劇言語の力と可能性を求めて」と名付けられたシンポジュウムが世田谷のシアタートラムである。
■日本からは、演出した、川村毅、鐘下辰男、それに僕。司会が京都造形芸術大学で一緒に教えている八角さん、パブリックから、松井さんなどが出席し、フランスからは、劇作家のミッシェル・ダレル、若い劇作家らの支援活動をする「テアトル・ウヴェール」のルシアン・アトゥン、ミュシリ・アトゥン夫妻。参加者が多かったせいもあり一人ずつ話す時間が短かった。シンポジウムはそうなりがち。

■それより、終わってからフランス人も交えて居酒屋に行ったのが面白かった。
■彼らは演劇人という特別なフランス人かもしれないが、おどろくほど「日本映画」を見ている。ひとしきり日本映画について語る。黒沢、小津、溝口、大島。そういった巨匠クラスだけではなく、現代日本映画の若い監督たち、青山真二、黒沢清もよく見ているし、あと驚くのは翻訳されている村上春樹や吉本バナナもよく知っている。辻仁成は知らなかった。交流がないのは演劇だけじゃないかという話になったので、「じゃあサッカーは?」と聞くと、「日本は厳しい予選グループに入ったねえ」ときのうのワールドカップの抽選会の話になった。詳しいよ、連中は。
■「テアトル・ウヴェール」のルシアン・アトゥンというおやじさんの話は面白かった。「もうずっと昔、ある内気な女優がいてその子に芝居を打たせたくて公演費用を捻出しようと思った」という。サルトルに手紙を書いて講演してくれるよう頼んだ。サルトルで人を呼んで金を集めようという魂胆だ。サルトルからこころよい返事。だが当日、ほんとに来てくれるかまったくかわからない。手紙だけの約束。客は満員。不安になって待っていると、ヴォーヴォワールと一緒にサルトルが姿を現した。それで、アトゥンさん、本日の演題「ブルジョア演劇と革命的演劇」を観客に知らせようと舞台に出ていったら、アトゥンさんも身長が低いが、サルトルも低く、サルトルに間違えられてものすごい拍手に迎えられてしまった。で、次に、サルトルが出ていったら、客がまたニセモノじゃないかと警戒して誰も拍手しなかった。その「内気な女優を中心にした演劇の集団」が、その後、フランスで有名な「太陽劇団」になったという話。面白かった。
■いい夜だった。
■アトゥンさんは、僕がかけていたサングラスがやたら気になっていて、「はずせ」とうるさくてしょうがない。川村毅にまで「それ怖いよ」と言われた。川村毅に怖いと言われるのはよほど怖いということか。
■来年フランスに行くのがすごく楽しみになった。

■人生、どこでなにがあるかわからない。
■この先、また誰に出会ってゆくのだろうか。

(4:11 Dec.3 2001)


Dec.1 「眠る一日」

■12月になってしまった。
■サッカーのワールドカップ、日本の初戦の対戦相手がベルギーに決まった。
■さらに、『ヒネミ』の再演に出演していただいた黒テントの村松克己さんの訃報。ショックだった。
■あとはたいしたニュースはない。

■リーディングの疲れが残ったのか、一日中、眠っていた。目を覚ましてはすぐに眠る。
■Web作りのためのソフトを学校で買ってもらった。Photoshop、Illustrator、Cyberstudioなどがセットになったパック。インストールをするが、また眠る。インストールにもけっこう時間がかかり、やっているうちにまた眠ってしまう。本を読む。また眠る。少し眠ってはすぐに目が覚め、また眠る。眠ってばかりの一日。
■以前ここにも書いた、『こころを鍛えるインド』(伊藤武・講談社)だが、調べたら絶版になっていた。インターネットを探しても見つからない。あとは古本屋を回るしかないのか。読みたかった。古い演劇書は見つけたら可能な限り買うようにしているが、「インド」はこれまで興味の範疇になかったので目がゆかなかった。
■中沢新一さんが元オウムの信者に向けて雑誌に書いた文章の中の「こころを鍛える」という意味の言葉はわかっていたつもりだが、まだまだだと、この三ヶ月の経験が教えてくれた。修行である。まだだな。インドに行こうかなとさえ思ったのだった。

(5:05 Dec.2 2001)