Dec.31 「修行へ」 |
Dec.30 「片づけと準備」 |
Dec.29 「さらにニュー高田について」 |
「ニュー高田」のことですが、おそらく高田馬場にある少々薄汚いラブホテルの名前ではないかと思われます。ちなみに「ニュー高田」の正面には、「山手卓球」というこれまたいい味の卓球場があります。やっぱりそうか。そんなことじゃないかと思っていたのだ。「ニュー高田」のライターを持っていたのはある女性だったが、「なんだ、これ、ニュー高田って」と僕が言うとちょっと動揺し、なにか言い訳したあと、「あげます」とくれたのだった。それですぐにぴんときた。まあ、ぴんとくることは、ラブホテル関係でなくてもいろいろあるが。
初舞台から約4年、今年は何本かの自主映画に参加し我ながら果敢に挑戦したものだ、と満足すれば良いものを[焦り]が立ち上ってきていました。そんな矢先に「早く手を離したら矢はぽとっと下に落ちちゃうだろう」 の一文を読んだのです。「引っ張る力を鍛える時間」、そうか、そうなのか、とまぁ勝手ながら安堵と勇気を戴けました。と書かれていた。そう感じていただいたら幸いだ。
Dec.28 「ニュー高田」 |
Dec.27 「京王閣だった」 |
これから此の男と毎日くらすのだが、この男の前では油断なく吃って見せないことには、どういう因縁をつけるかもわからない。ここで私はちょっと笑った。よくわからないことでも人は困難を感じるものなのである。それにしても、「吃り=どもり」がATOKで漢字変換されないのはやはり「不適切な表現とその用語」ということになっているからだろうか。まあ、それはいい。小島信夫に関してあまりいい読者ではないので多くを書けないが、「小説」なのだとつくづく思う。「物語」ではない、「小説」である。橋本治が『わからないという方法』で、志賀直哉の「描写」をひいて書いている「説明」についての論考と併せて考えるべきことがあるが、まだまとまらないのでいつか書く。これは、「小説ノート」に書くべきことだな。
Dec.26 「いかにも年末である」 |
Dec.25 「鍼治療と、その他のこと」 |
今日もまた、3万5615人の子供たちが飢餓で死んだ。あるいはつぎのようなリストもある。
犠牲者 3万5615人
場所 この惑星の貧しい諸国で
特集号 なし
新聞論説 なし
共和国大統領のメッセージ なし
非常招集 なし
連帯の表明 なし
黙祷 なし
犠牲者追悼式 なし
フォーラムの開催 なし
教皇のメッセージ なし
株式市場 相変わらず
ユーロ相場 回復
警戒水準 変わらず
軍隊の移動 なにもなし
犯罪を識別する推測 なにもなし
可能性のある犯罪の委任者 豊かな諸国家
世界人口の20%がこの惑星の資源の80%を消費している。
中国(一九四六、一九五〇〜五三)なにも説明することはないと思う。
韓国・朝鮮(一九五〇〜五三)
グアテマラ(一九五四、一九六七〜六九)
インドネシア(一九五八)
キューバ(一九五九〜六〇)
ベルギー領コンゴ(一九六四)
ペルー(一九六五)
ラオス(一九六四〜七三)
ベトナム(一九六一〜七三)
カンボジア(一九六九〜七〇)
グレナダ(一九八三)
リビア(一九八六)
エルサルバドル(一九八〇年代)
ニカラグア(一九八〇年代)
パナマ(一九八九)
イラク(一九九一〜九九)
ソマリア(一九九三)
ボスニア(一九九五)
スーダン(一九九八)
ユーゴスラビア(一九九九)
これは今アフガニスタンを爆撃し続けている国が、第二次世界大戦が終わった後で、戦争状態になった国、もしくは爆撃した国のリスト
Dec.24 「新宿は人が多かった」 |
Dec.23 「また京都を去る」 |
Dec.22 「あいまをみては『非戦』を読む」 |
Dec.21 「仕事をする」 |
Dec.20 「今年の京都はやけに寒い」 |
「ねえ、岡田さん、一人の人間が誰かを憎むとき、どんな憎しみがいちばん強いと思いますか? それはね、自分が激しく渇望しながら手に入れられないでいるものを、苦もなくひょいと手に入れる人物を目にするときですよ」こうしたルサンチマンを抱えた牛河のような人物が村上春樹の小説に登場するのがなにか不思議な気がした。村上作品を読まなくなってずいぶん経つので忘れてしまったが、こうした「情念」から遠いところにあることで村上春樹の小説は新しく、『風の歌を聴け』はそうして時代に迎えられたのではなかったか。そしてそれが七〇年代後半から八〇年代にいたる時代の空気でもあったはずだ。 この20年の変化。作家の変遷。だが、主人公の「僕」は20年間ずっと、まめに料理を作り、ビールを飲み、そして、女の子にもてもてである。
Dec.19 「腰は痛い」 |
Dec.18 「遠い70年代」 |
Dec.17 「いいデザインの携帯電話はない」 |
Dec.16 「本を探す」 |
Dec.15 ver.2 「akio@u-ench.com 復活」 |
「この二年間、俺は人生が上の空だった」この二年間というと、僕に大学の話があってからだから、そのあいだ太田さんは「上の空」だったのか。おどろくべきことだ。
Dec.15 「緊急のお知らせ」 |
Dec.14 「京都へ」 |
Dec.13 「病院と稽古」 |
Dec.12 「ヤングのことなどについて」 |
Dec.11 「ワークショップ最終日」 |
Dec.10 「稽古」 |
Dec.9 「自転車で代々木公園を走る」 |
Dec.8 「インド料理を食べる」 |
Dec.7 「一生ラジカルなじじいでいたい」 |
彼らは法廷でオウム真理教の教義の細部についての説明を求められると、しばしば、「これは一般の方にはおわかりにならないでしょうが」という言葉を用いた。そのような発言を耳にするたびに私は、そこにある独特のトーンからこの人たちはなんのかんの言っても、自分たちが<一般の方々>よりは高い精神レベルにあるという選民意識をいまだに抱き続けているのだなという印象を受けないわけにはいかなかった。ここが印象に残ったのは、ある人と話をしているとき、「ステージがちがう」という言葉を相手が言ったのを思い出したからだ。『こころを鍛えるインド』は面白かったし、文体からにじんでくる伊藤さんの人柄のようなものにひかれるが、村上春樹も書いている「ニューエージ的言説がしばしば我々に肌寒い思いをさせる」のはそうしたところではないか。そもそもある思想段階を意味する「ステージ」って言葉がいやなんだけど。
Dec.6 「自転車で」 |
Dec.5 「青山ブックセンター」 |
Dec.4 「こころを鍛えるインド」 |
Dec.3 「下北沢のそば屋」 |
Dec.2 「フランス人たち」 |
Dec.1 「眠る一日」 |