Nov.30 「リーディング本番」

■リーディング、『アンヌ・マリ』(作・フィリップ・ミンヤナ)の公演。たった一日の公演。もったいないほどだがやけに楽しかった。俳優たちも生き生きしていたのではないか。客もよく入った。この一連のリーディング公演のなかでは一番多かった。
■フランス人の観客の姿もかなり目立った。なぜかフランス人の評判がよく、日本語版とフランス語版による二本立てのリーディング公演をフランスでやるのはどうかと提案するフランスの演劇関係者もいた。このメンバーでフランスにいけたら楽しいだろう。どこかが資金を出してくれればの話だが。

■作品自体は40分ほどの短いもの。で、終わってからほんとはミンヤナさん自身のアフタートークがある予定だったが身内に不幸があったというのでこられなくなり、急遽、僕と俳優たち、それから翻訳の長島さん大磯さんとアフタートーク。本番の公演より長い時間のトークになった。それも楽しかった。
■で、いろいろ「リーディング」そのものについて、「翻訳」について、あるいは「裏話」など話したが、問題になったのは、作者の「ミンヤナ」という名前だ。聞いたことがない。「ミンヤナ」である。本名なのだろうか。フランスでは一般的な名前なのだろうか。終演後、ロビーに出てゆくと、フランス人の女性演出家がやってきて、「じつは私の母親の旧姓が、ミンヤナです」と言われて驚いた。スペインのある村のある地域に限定された、ある一族の姓だそうだ。横溝正史の世界かと思った。あと演出のこともほめられとてもうれしかった。もっとミンヤナの作品を上演しろという。ただ、ミンヤナのほかの作品が翻訳されていない。やってみたいと思ったが。

■ここに書いたことのある、偶然会った「油断している人」も見に来ていた。『あの小説の中で集まろう』などに出ていた小林令だ。それからやはり僕の舞台によく出ている佐伯。最近ではファブリーズのCMなどでよく見る。白水社のW君、舞台芸術センターのHさんたち。『ユリイカ』の編集の方には連載の話を催促された。ああ、申し訳ない。
■そんなことみんな楽しかった。久しぶりの舞台。「公演」という奇妙な非日常。宋ひさこがいみじくも、「やっぱり舞台やると楽しくなっちゃう」と言う。しみじみ。舞台から遠ざかり、仕事も忙しくなりやめようかと思っていたらしいが、楽しくなったら逃れられなくなるのが、「演劇のおそろしさ」だ。そうして人は演劇で身を持ち崩す。
■僕も同じだ。久しぶりの東京での公演だったからなおさらだ。楽しかった。このところ精神的にかなりだめだったので、正直、稽古に入る前は憂鬱だったがこうして本番を迎えるとやってよかったとつくづく思う。また次作を考える。小説ももちろん書くが。小説ノートも少しずつ進めているし。

■次は京都公演。京都造形芸術大学のstudio21で公演する。
■京都は寒いのだろうか。ひさしぶりの京都。楽しみだ。

(8:36 Dec.1 2001)


Nov.29 「日本の経済を支える人たち」

■朝、早く家を出て京王線のつつじヶ丘へ。
■病院。オペラシティを抜け京王線初台の駅に向かうとものすごい数のビジネスマンたち。働いている。朝早くからみんな働いているんだ。よくぞ満員の電車に耐えている。日本の経済はこの人たちが支えるいるんだな。青島幸男が書いた『日本無責任時代』の歌詞「こつこつやるやつあごくろうさん」を思い出す。子供の頃の僕の人生訓。そういえば、アップルもオペラシティのなかにあるのだったな。このあたり、いわゆるコンピュータ業界がひしめいているのだろう。IT産業も飽和状態か。演出助手をしている太野垣に聞いたら、バイトしている弁当業界も飽和状態で人あまりだという。「芝居があるので休ませてください」と頼むと、「おお、休め休め」と言われるそうだ。どこへゆく日本の経済。
■人に聞いたら、やたら会うやつがシステムエンジニアだったそうだ。今日本人の80パーセントがシステムエンジニアか、弁当屋のバイトである。

■病院でK医師の顔を見たらまた気持ちが落ち着く。予約時間通りに行ったが、やっぱりかなり待たされた。精神科はいろいろな患者さんがいる。時間が読めないのだろう。
■で、結局稽古はまたおそい時間からになってしまった。みんなに迷惑をかけた。しかも僕はものすごく眠い。
■稽古には集中。もっと細かくやらなくちゃいけないのだが。時間がない。手塚君、小田さんが意見してくれるので稽古場は楽しい。唯一出ている女優、宋ひさこの「記憶力ゼロ問題」が稽古場で話題。「それいつだった?」とか、「それで相手はどういってた?」と何を聞いても覚えていない。ジャンキーな人に記憶しろというほうがどだい無理。「あること」を頼んだことを後悔した。
■いまやニブロールで踊り、「ボクデス」という個人的ユニットもやっているダンサーの小浜が見学に来た。
■あした本番。家に帰って、新しく病院で出してもらった眠るための薬でぐっすり眠る。

■そういえば、稽古初日、緒川たまきさんが仕事で一緒だった手塚君と稽古場まで来たそうだ。僕が遅刻したので帰ったという。不覚。会いたかったなあ。でもいつかきっと一緒に舞台をやろうと思う。

(6:57 Nov.30 2001)


Nov.28 「その後の稽古」

■いきなりのウツ。理由ははっきりしている。
■朝、変な時間に目が覚め眠れなくなった。考えごとをしているともうだめだ。睡眠薬を飲んでまた眠る。
■おかげで稽古は午後おそい時間からになってしまった。みんなに迷惑をかけた。
■それでも稽古場に入ったらやる気になる。いろいろ忘れ稽古に集中。けっこうできてきた。
■あしたは病院の予約時間が朝9時半。早く眠ったつもりがまた変な時間に目が覚める。

(3:33 Nov.29 2001)


Nov.27 「さらにリーディングの稽古」

■リーディングの稽古。二日目。だいぶよくなっってきた。
■昼の二時開始。午後は以前レクチャーをした広い部屋だったが、夜からパブリックの地下にある『あの小説の中で集まろう』で使った稽古場。懐かしい。終わってからシアタートラムを見学し、劇場もそうだが楽屋がやけに懐かしく感じた。
■さすがに小田さんと手塚君は面白い。宋には無理なことをさせているのかもしれないが、舞台からはなれていたこともあって少し大変そうだ。いまはバイトがやたら忙しいとのこと。池袋のコミュニティカレッジの受講者が見学。にぎやかな稽古場は楽しいし、やっぱり稽古しているときはいろいろなことを忘れて集中できる。稽古だな。やっぱりなにより稽古だ。翻訳者の長島さんと大磯さんがとても熱心だし、面白いことをよく理解してくれるので仕事をしていてとても楽しい。
■そういえば、うちの近くに住んでいるTさんからメールをいただき、「12月2日に見に行きます」とあったが、僕の公演は11月30日の一日だけだ。間違えないできてほしい。Tさんにはなにかと励まされる。

■Fさんという方から、「オウムと身体論」についてのメール。『こころを鍛えるインド』という本を教えていただいた。
宮沢さんが興味を持っているオウムや身体性に関わる本で、『こころを鍛えるインド』(講談社)というのがあります。インドにかなり長く滞在して、インド武術とかいろんな修行をしていた人が、オウムの事件などにインパクトを受けて書いた本です。その中にはイメージトレーニングに関することも=だまされる脳についての記述があります。そして"ヨーガのテクニックは、原理は洗脳、マインド・コントロールといった手口と同じなのだ。まず意識のタガを緩ませる。次ぎに潜在意識に一定のイメージを植え込んでいく。すると、今度はそのイメージに衝き動かされて、考え、行動するようになる。"といったことがハッキリと書かれています。私は著者の伊藤武さんと、仕事で知り合い、彼がかなり本格的にインド武術や哲学を学んだ人だということを知っています。つまり、なんというかよくいるインドかぶれの怪しいタイプとは違う。ということです。ちゃんと修行をした人。というか、、。もしかしたら、宮沢さんの仕事にも役にたつかもしれない気がしてお知らせしました。
 かなり面白そうだ。ぜひ読んでみようと思った。
■やけにやる気が出てきた。学ぶ意欲も復活。稽古のおかげだろうか。薬のせいか。
■帰り、渋谷を回ってバスで帰る。夜のバスはよかった。

(1:00 Nov.28 2001)


Nov.26 「リーディング」

■リーディングの稽古。
■リーディングとはただテキストを読む公演。それはそれなりの意味があるのだろうが初めての経験で戸惑う。外国人の書いた戯曲を解釈し演出するのもはじめてで、どう手をつけていいか迷う。三軒茶屋にあるパブリックシアターの稽古場。小田豊さん、手塚とおる君、宋ひさこの俳優たち。さらに翻訳家の長島さんと大磯さん。パブリックの酒井さんはじめスタッフたち。制作の永井、演出助手らが集まる。
■いろいろなことを試してみる。時間は少ない。そのなかでどれだけのことができるか。いろいろやってみるのは楽しみだ。あと、小田さんと手塚君が積極的に意見してくれるのは稽古場を活性化させる。小田さんとは『知覚の庭』以来だし、手塚君とは『砂の国の遠い声』以来でずいぶん時間があいてしまった。それよりしばらく舞台から離れている宋が心配だったものの、わりとよかった。
■宋とは久しぶりに会う。電話で話をしてからも二ヶ月ぶりくらいか。あることを頼んでいたのだがその後、全然、音沙汰がなかった。どうしているのかと思っていたが、いろいろな意味で「油断」していなかったと見た。声も出る。いや、以前よりよくなっているかもしれない。いまは友人の家の台所に居候しているというのは笑うが。
■翻訳の長島確さんと大磯仁志さんと打ち合わせしたとき、元になったフランス語版のラジオドラマをテープで聴いた。テキストを読んだ段階で、「娘」と指定のある「女」の年齢が若いと思っていた。テープで聴くとかなりの中年女。すごい迫力。宋で大丈夫か不安だったがそれなりにうまくゆきそうだ。ちょっと演出を変えようとは思うが。
■久しぶりの稽古で少し疲れた。というか気疲れ。
■初台からだと、三軒茶屋は遠い。
■小説ノート、久しぶりに更新。

(3:45 Nov.27 2001)


Nov.25 「アンダーグラウンド」

■村上春樹『アンダーグラウンド』を読んでいる。まだ途中までしか読んでいないのに印象を書くのはなんだが、『アンダーグラウンド』というタイトルにすべて集約されていると思った。タイトルの付け方の秀逸さ。センスのよさ。そこにこの作家のすべてが表れているのではないか。よくわかったのは、人は通勤するのにずいぶん電車に乗り、よく乗り換えていることだ。最後まで読んであの事件についてあらためて考えたいが、インタビューがどうも凡庸だ。あるいは、それがこの作家の魅力なのだろうリリシズムとセンチメンタル。
■それよりやはり、オウムを通じて「身体論」を考えるべきだったか。
■「医者からもらった薬がわかる本」といった種類の本で、精神科で処方してもらった薬を調べた。夕食後、一日一錠飲んでいるのは、アメリカで爆発的に売れたが日本では認可されていない種類の薬品だとわかった。要するに「積極人間」になる薬。意欲も出てこようというものだ。
■やりたいことがあふれてくる。

(0:09 Nov.26 2001)


Nov.24 「青山へ」

■朝日新聞の連載に書いた「坊主刈り」という言葉に待ったがかかった。「丸刈り」でなくてはいけないという。「坊主刈り」という言葉が「仏教徒をいたずらに見下す表現」だと仏教関係者による排斥運動がかつてあったという。驚いた。

■そんなわけでわたしは、人に勧められ青山の美容院で頭をかった。少し伸びたからだ。もちろん坊主狩り。京都では近所にあったふつうの床屋さんでバリカンを使って強引に刈ったが、美容師さんはさすがだ。はさみでこまかくニュアンスをつけながら丸刈りにする。よく見ると、頭の形に合わせて微妙に長さがちがう。時間も床屋さんの三倍はかかった。洗髪もしてもらった。頭のマッサージは気持ちがいい。ただ美容院はひげを剃ってくれない。床屋のひげそりはものすごく気持ちがいいものの、坊主頭にひげは必須。ひげがないとどうもおさまりが悪く、「野球部」か「出所してきた人」のようだ。

■青山から原宿あたりを散歩。オンサンデーズをのぞく。かつて桑原茂一さんの事務所が近くにあったので昔はよく来たがいまはすっかり縁がない。懐かしい気分になる。原宿では「留置所建設反対運動」のポスター。裏原宿と呼ばれるあたりは少し前とはずいぶん雰囲気が違う。

■かつて僕の演出助手をしていたMから「日取りが決まりました」というメール。三月に結婚するという。出席してスピーチしてほしいとのことだが三月は俺、沖縄にいるのではないだろうか。まずいな。なんとかならないものだろうか。参加してあげたいが。
■Mは大学の四年間、ほとんど僕の舞台の手伝いをしていた。そういった連中はたいてい演劇にのめりこむものだが、あっさり卒論を書き、卒業旅行もし、就職し、いまは印刷関連の会社にいるらしい。以前、「写真日記」の小さなウィンドウがネスケでうまく開かないことを書いたらソースを書き直して送ってくれた。変だと思ったら、
私も一応プロとしてホームページを作っているのですが……、JavaScriptの勉強をしっかりしたことはないんです。必要に応じて、ウィンドウを開いたり閉じたり、プルダウンメニューをリンクに使ったり、それくらいしかできないんですよ。正規表現とかUNIXも、今のようにヒマな時、いろいろなホームページを読んでる程度です。本職はhtml大量生産&校正ですから……。

 ということでそれも驚いた。そんなことをしていたのか。人生いろいろである。

■本を読む。奇妙なくらい意欲が復活。だいぶ調子が出てきた。この三ヶ月は修行だった。ひどく苦しい修行だった。もう少し休みたい気もするが、来週からもうリーディングの稽古だ。

(2:01 Nov.24 2001)


Nov.23 「散歩。日記らしい日記」

■天気がいいので散歩。
■世間は休日であった。
■パークタワービルまではすぐ。コンランショップをのぞく。ソファがほしいがたいてい50万円くらい。手が出ない。京都のCafeOPALみたいに、米軍放出品みたいな古いソファを買って上から手作りのカバーで覆うのは気がきいている。コンランショップは客が多い。コンランショップにあるインテリアを飾るほどの部屋にそんなに多くの人が住んでいるのか疑問である。
■さらに歩く。新宿中央公園。都庁近く。デジカメでいろいろ撮る。また写真日記を作ろうと思うがその気力がない。
■オペラシティのなかの紀伊國屋書店で、村上春樹の『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』を買う。島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』の流れで。
■新潮文庫を買ったある人がふと気がつくとカバーの一部が破られているのに気がついたという話を聞いた。なにかと思ったが、新潮文庫グッズがもらえる引換券みたいなものがそこに印刷されていたらしい。グッズはほしいが本は買いたくない。だからって破ることはないじゃないか。僕に言ってくれれば編集者経由でグッズをもらえたと思うのだが。
■散歩は気持ちがいい。
■ひさしぶりにゆったりした気分だ。
■休日だったせいか、日記らしい日記になった。

(0:23 Nov.24 2001)


Nov.22 「尊敬できない男と、やってやってやりまくるについて」

■『資本論を読む』と「朝日新聞」の連載で追いつめられる。
■島田裕巳の『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を読み、その関連でいくつもの本を立て続けに読もうと思ったのは、ひとつにはやはり「身体論」がある。『身体解放とはなにか』のページをずっとほったらかしてにしているので、また勉強を再開しなくてはと思った。というのも、まったく異なるアプローチでオウムにしろ宗教者とその周辺の者らが「からだ」を意識していることは知っていたつもりだが、無視できない課題がきっとまだあるはずで、考えるべきことをそこに予感するからだ。
■さらに同書には、「村上春樹」「中沢新一」に言及している箇所がある。中沢さんはよく読んでいるものの、村上春樹が『アンダーグラウンド』など一連の「オウム関連」の本を出しているのは知っていたし、河合隼雄さんとの対談でもふれているので気にはなっていたが、あまり読もうと思わなかったのはやはり以前も書いたが「社会現象としての存在」になってしまったからだろう。ある時期まではよく読んでいたが。っていうか、それ商売だし。なかでも、「サリン事件」の直前に連載をしていた『ねじまき鳥クロニクル』を読もうと思った。作品と事件の共時性が気になったのと、実は以前、ある人から推薦されていて独特な解釈に興味があったからだ。あれいつだっけな。上・中・下巻と三冊一気に文庫を買ったんだ。なぜ読まなかったのだろう。
■「ラジカリズム」との関連から、イスラム原理主義、さらに広義の宗教について勉強し直そうと思った。なぜ宗教はテロリズムを生んだのか。

■中谷某のことなど、考えてみると取り上げることすらばかばかしかったと反省したものの、Sさんという女性から興味深い意見をいただいたので紹介したい。『尊敬する男と、しよう』はSさんによればそもそも「わかりきったこと」だという。

この人のすごいところは、上に言った通り、男女を問わずに分かり切っていることをわざわざ本にするとき、ターゲットとして女性を選択している点に尽きると思います。女性は、分かり切ったことを再確認するために、お金を平気で落とす生き物なんです。

個人的には書いた人のあほらしさよりも、買った人のあほらしさに救い難さを感じ、茫漠とした気分になります。何と言うのでしょうか、女性タレントとしての工藤静香や、ラッセンの絵と同様に、「支持している人に1人も会ったことがないのに売れている」という分野なんだなあ、という感じです。

尊敬している人との交わりは、それはそれで格別なものはありますが、卑屈なこころを拭えない場合、結構な倒錯の気を帯びて来ることってありますよね。それが余計に気持ちよい、というくらいの内容なら、少しは関心も持てるってものですが、多分全然違うのでしょう。同様に、尊敬できない相手とでなきゃできないこと、というのも密かに存在している訳で。そう思うと、「尊敬できない男と、」に続くのは、確かに「やってやってやりまくろう」が妥当です。

 ああ、面白い。まったくだ。たしかに「工藤静香や、ラッセンの絵と同様に、『支持している人に1人も会ったことがないのに売れている』という分野」は、『アメリカ大陸縦断ウルトラクイズ』の第一問で失格した人はかなりの数いるはずなのにいまだ会ったことがないのにも似て、まったくの謎である。さらに、最後の、「尊敬できない相手とでなきゃできないこと、というのも密かに存在している」というのもわからないではない。ほんとうに勉強になる。

■京都造形芸術大学のっていうか、うちの大学の事務局のHさんからうれしいメール。「リーディング公演のページ、見ました。受けたインパクトを表現できる言葉が見当たらないのですがともかくすげえと思いました」とのことだが、自分に関係するページとなるとついつい力が入ろうというものだ。
舞台芸術センターのページは今後も充実させてゆく予定で、事務長・橋口さんの連載ページ「WEEKLY HASHIGUCHI」を作ろうと思っているのだった。

(2:48 Nov.23 2001)


Nov.21 「逃避と旧ユーゴ」

■原稿が書けなくて逃避。京都造形芸術大学舞台芸術研究センターに、リーディング京都公演(studio21)のページを作った。

タコシェの中山さんからメールがきた。

こんにちは。お久しぶりです。日記はいつも拝見していますが、ユーゴのことに宮沢さんが関心を向けていらっしゃるようで、ついついメールをしてしまいました。実は私の大学時代の友人・大塚真彦君が、すごい紆余曲折の後ユーゴに流れつき、かの地に暮らしながら外国のテレビ番組のコーディネイトや通訳などをしているので すが、そういった生活者でいてマスメディアの裏方といった彼ならではの視点から、ユーゴ事情を不定期で発信するホームページをやっているんです。すごく面白いのでいろいろな人に見てほしいとかねがね思っていたのでご紹介させてください。

 少し読ませてもらった。ニュースでは伝わってこない世界のことをどこかで誰かが発信してくれる。外国語が読めればそれにこしたことはないんだろうけど。外国に在住する方たちに助けられる。
■このあいだ「油断」についてメールをくれたSさんからは、『尊敬できる男と、しよう』についてまた興味深い話を送ってもらった。あした紹介しよう。
■さらに寝屋川のYさんの日記を読むと、京都で「へこんだ」とあったので心配になり、すぐに「京都には近づくな。立命館のH君が待ち伏せしている」とメールを送った。

■ニュースステーションには大江健三郎さんが出ていた。「書くこと」は「読むこと」であり「生きること」であるという。「読むこと」とは自分の書いたものを読み直し書き直す「推敲」のことであり、それがつまり「生き直す」ことにつながってゆくと理解した。簡単に書けてしまうことはそれほどいいことじゃない。文を書くのは自分と向かい合うこと。表現とはおしなべてそうしたものだが、「文」は「自分」と孤独に向かい会うという意味ではほかの表現とは異なるのだろうな。
■小説を書かなくては。
■それにしてもイチローはすごい。マイケル・ジョーダンも。
■あとは読書の一日。

(3:31 Nov.22 2001)


Nov.20 「片づける」

■仕事と読書。
■部屋を片づけ少し意欲が出てきた。「部屋を片づける行為」というか、「整理する行為」は奇妙なもので意欲がないとまったくやる気にならない。片づけようとからだを動かすのはいい方向に向かっている証拠だが、実業の日本のTさんから再三、原稿催促の電話、書けない、意欲がわいても書けないものは書けない。
■いま池袋でやっているコミカレのワークショップに安彦という早稲田の女の子がきているが、『ヒネミ』の初演でケンジ役をやりその後漫画家になった安彦麻里絵(字不明)のいとこだそうだ。ぜんぜん似ていない。なにしろ早稲田のほうの安彦は冒険部だそうだし。
■関係ないけどもっと文章がうまくなりたいものだ。「漢文」「漢語」に関する教養が足りないと痛感。もっと勉強しよう。中谷なんとかってライターなのかなにか知らないけれど、その人の書いた『尊敬できる男と、しよう』とかいう意味深な書名の本が売れているらしい。ばかもやすみやすみいえ。「女を磨くために」らしいが、だったら男はどうやって磨けばいいか、そもそも根底に男中心社会のいやらしさがあるし、「尊敬できる男」の基準がわからない。こうなったら、『尊敬できない男と、やってやってやりまくろう』という本を出してやろうかとすら思った。
■あと調子に乗っている北部同盟をなんとかしたらどうなんだ。アメリカからの情報ばかり流れる報道。田中宇(さかい)さんの『タリバン』によれば、タリバン兵士が肩からしょってる小型ロケット砲はかつて旧ソ連のアフガニスタン侵攻当時アメリカ軍が与えたものだそうで、数年で壊れる予定になっていたという。ところがタリバンたちはそれを修理していまでも使っている。アフガニスタンを舞台にしたくだらない国際政治の駆け引き。直しちゃうやつらのたくましさ。
■目はアフガニスタンに向いてしまうが、ユーゴスラビア周辺の紛争後の政治状況ははどうなっているのだろう。映画『アンダーグラウンド』の最後のせりふ、「かつてここにひとつの国があった」はいまこそまた別の色合いをもって響いてくる。

(5:22 Nov.21 2001)


Nov.19 「修行だった」

■自転車について書いたら、それを読んで色めきたったというAさんからのメール。

紹介させていただきたいのは、折り畳み自転車か? とみくびられがちな外見、お城で手作りされている、というようなちょっとどうかと思うほどの独特なアナログの世界観、なのにロードレーサーのスピード世界記録保持、など自転車マニアの人々にとっても「どう理解したらいいのかよくわからない」宙に浮いたような存在の自転車です。自転車雑誌にはあまり掲載されていないようです。私は、以前在籍していたBeginという男性向けのモノ情報誌の編集部でその存在を知り、モロモロの蘊蓄めいたことをぜんぶすっとばして「なんか可愛い! あはは!」と普通に街で乗るのがいいかも、と思い購入し今に至っています。軽くて乗り心地が良いですよ。ここですべてのモデルが見られます。

 デサインがかわいくてよさそうだし、サイトの説明を読むと面白そうな自転車だ。価格表を見てひっくり返りそうになった。べらぼうじゃないか。最初、桁を間違えたかと思ったほどだ。たしかに最近こういたタイプの自転車を町でよく見かける。「タイヤが小さな自転車」が流行りだが、なんだか走るのが大変そうに思えてならない。でも「ロードレーサーのスピード世界記録保持」なのか。うーん、わからないものだ。タイヤがでかいやつがいいな。なんとなく安定感がある。実際、目にしてみないとわからないが。でも、高いよ。

■島田裕巳の『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を読む。
■オウムとの根拠のない関係をネタにマスコミからバッシングを受け、大学も辞任に追いやられた島田裕巳の著書。印象に残ったのは、「オウムの起こした事件は、日本の社会に生きていながら、社会のあり方に強い違和感をもつ人間たちの、無意識の願望を象徴するものだったのではないだろうか」という部分だが、「サリンで殺された人」「その遺族」たちにしたらとんでもない論理になるものの、たしかにそれが当たっていないわけでもないと思うのは、なにか事件が発生したとき夢中になって報道を見る人の異常な視線を感じるからだ。僕にもそれはぜったいにある。押し隠している「無意識の願望」。だが、「無意識の願望」を実行してしまうか、しないか、ものすごい距離がある。オウムはやってしまった。
■9月11日の「米国同時多発テロ」と呼ばれた事件をまのあたりにすればテロの規模といったくだらない問題ではなく、その宗教的、政治的背景を比較してもオウムの茶番性は明白。それでもいま「オウム」をあらためて考えてみたいと思った。島田の著作ではオウムの修行体系が細かく記述されその過酷さはすざまじい。そうした修行へ彼らを駆り立てたもの、その心性をもっと知りたいのだし、心性の先に生まれたテロはなんだったか。おそらく演劇の問題とも、いま書こうとしている小説とも関係してくるだろう。つまり「からだ」の話になるはずなのだ。

■あと、関係ないけど、Mac OS Xはよくわからない。操作体系がWindowsっぽくなっている。対応するアプリがまだ少ない。安定性、堅牢性は高まったのだろうけど、いかがなものか。
■『月の教室』を読んだという方からも何通かメールをもらった。単純にうれしい。
■それにしても、『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』を読んで、この三ヶ月ほどのウツ状態や、苦しさ、精神科に通院する経験は、すべて修行じゃなかったかと思えてきた。本は読めず、仕事は進まず、苦しいばかりだったが「修行」だと思えばこれもなにかになっている。だからよかったのかもしれない。

(2:50 Nov.20 2001)


Nov.18 「バランスが悪い人」

■少しずつ精神的に調子が戻りつつある。
■編集者のE君からもらったメールに次のような一節があった。

「好き」を仕事にすると、辛いときがありますね。「面白い」とか興味とか関心だけで突っ走ってしまうと、心身のバランスを崩してしまう。ぼくは最近になって、やっと「自分の興味と仕事とは別」と言う人の気持ちがわかってきました。世の中の人たちは「興味モード」と「仕事モード」を切り替えてバランスをとっているんですね。「面白くないけど、こなす仕事がある」ことの大事さがよくわかりました。

 そうなのかもしれない。ただ僕は「面白くないことはしない」がもう自分勝手なほど徹底しているのと同時に、「面白くないと思ってやっているうちに面白くなってしまう」がある。これは奇妙で、つまんないと思ってはじめているうちに面白さを発見してしまうのでまた夢中になる。「好きを仕事にする」もあるが、「仕事がただ好き」としかいいようがない。
■あと、「興味モード」と「仕事モード」を切り替えてバランスをとるほどうまくできていない。
■ずいぶん以前、竹中直人やいとうせいこう、川勝正幸、高橋洋二ら友人たちと、みんな「車」に興味がないのはおかしいのじゃないかという話になった。ふつうの健全な男は「車」に興味を持って高校を卒業するころに免許を取りにゆくはずだと思うが、そんなことより仕事にしか興味のないやつばかりで、車のことなど考えたこともない。どうかしているのではないか。バランス感覚がないのである。好きなこと一直線。これはこれでゆがんでいる。それが自由業者の切ない生き方だ。

■E君からはほかにも、『関心空間』というサイトを教えてもらった。なんだか面白い。いろいろな人が自分の関心があることを紹介している。
■本を読んで過ぎてゆく日曜日だった。

(23:43 Nov.18 2001)


Nov.17 「物欲と意欲の秋」

■新宿の青山ブックセンター2に行って目的もなく本を見ていた。
■あれも読みたいこれも読みたいと意欲がわいてきた。いい感じだ。復活している。やりたいことが少しずつ復活。勉強したいことが次々と思い浮かぶ。このあいだ僕がサイン会をしていた場所ではピエール瀧のサイン会。人だかりができている。以前、僕のワークショップにきていた女の子がバイトしているのをみつけた。本を二冊ほど買って帰る。
■買った本の一冊は人文関係のものだが、もう一冊は、Web関連の技術書。自己流でWebを作っているがごく基本的なことをあらためて勉強しようと思った。なにごとも基本が大事である。しかし作家なんだから小説の勉強をするべきではないかとも考えつつ、しかしやりたいことは無数にあって困るよ。きのうも書いたがビデオ作品も作りたい。

■BSの「本を紹介する番組」で、きたろうさんが『青空の方法』を推薦してくれた。話の途中、坊主頭の僕の写真が紹介されていたが、サイン会の時に撮影したものらしい。気がつかなかった。写真といえば、クロワッサンでやはり本を紹介してくれるがそのとき撮った写真は、坊主頭にぶしょうひげ、サングラスの怪しい姿。12月の後半に発売とのこと。
■町を歩くとつい人が乗っている自転車に目が行く。
■路上駐車してある自転車にも目が行きメーカーをたしかめるくせがついた。プジョーと、GIANTが多いような気がする。雑誌など読むと、マウンテンバイクとドロップハンドルがついたロードレース用の中間に、クロスバイクというのがあると知る。町を走るにはクロスバイクがいいらしい。参宮橋の近くの主にマウンテンバイクを扱っている自転車屋に相談したら気に入ったボディに細めのタイヤを付け替えるサービスをするという。近くに店があるのはいいな。なにかあったとき相談しやすい。
■しかし、iPodがすごくほしくなった。音楽を千曲録音できるアップルのMP3プレイヤー。
■物欲の秋である。

(1:44 Nov.18 2001)


Nov.16 「自由業者の社会的信用」

■自由業者の社会的信用はほとんどない。
■大学の教員になっていること、つまり就職しているのをふと思いだし試しに銀行系のクレジットカードの申請をした。申し込みからあまり日数がかからないうちに問題なくカードが届いた。自由業者の時はこうはいかず、手続きは面倒でしまいには断られたりし、こういった世の中の仕組みは笑える。いつ大学を辞めるともしれない人物を簡単に信用していいのだろうか。社会性もきちっとししかも一般的な会社員より高額収入の自由業者は多いが、家を買おうと思うと銀行が融資してくれないという話はよく聞く。なかには演劇やってるやつなんかに部屋は貸さないという不動産屋もいた。
■イギリスに在住して絵を描いている大学時代の友人の話を聞くと日本とはずいぶん事情がちがう。銀行が金を貸してくれるかどうか知らないが、芸術家として町の人たちから尊敬されるという。まあ、「芸術家」がいいかどうか議論はわかれるものの、「芸術家」という存在のニュアンスにしろ、歴史性をはじめ様々に受け止め方が異なるのだろう。
■さらに、大学から「在籍証明」が届いたのでアカデミックパックでコンピュータのアプリケーションを買うことも可能になった。大学の威力おそるべしだ。舞台芸術センターのサイトを作るソフトをいくつか必要なら買おうと思っているが、さらにビデオ編集用のソフトがほしい。アップルのFinalCutProと、アドビのPremiereのどっちがいいか。しかしソフトを買ってもきちっと使えないとな。コンピュータとソフトがあれば作品ができるわけではけっしてない。修行あるのみだ。なにか作品が生まれればいい。学生たちに刺激される。学生のビデオ作品をいくつか見せてもらって面白くなったのだ。

■昼間。岩崎書店の編集者の方と新宿で会って、「絵本」について具体的なことはまだなにもないが少し話す。面白くなりそうだ。とても楽しみになってきた。終わってからアドホックの上にある自転車ショップや、東急ハンズの自転車売り場に行く。見れば見るほど、なにを買ったらいいのか悩む。
■精神的な不調を物欲で補おうとしているかのように、ほしいものが次々と出現する。自転車をはじめ、iPod、サブマシンとしてのiBook。たばこの税金がまた上がると報道。やめようかな、たばこ。やめたらずいぶん節約になる。以前、舞台のスタッフと話していたら僕が酒を飲まないのを知って、「じゃあなんにお金使うんですか?」と驚くべき発言。そんなに飲むのか連中は。稼いだ金をすべて酒に注ぐ。他人の情熱は理解できない。
■僕は本だ。本を買うとき感覚が麻痺する。いくら買ってもなにも感じなくなる。でも、仕事だからなそれ。本を読むのが結局、仕事。ただこの二ヶ月ほどひどく読むペースが落ちている。あと、美術展もたくさん見逃した。舞台も。映画も。寒くなってきたが、少し元気が出てきたから外に出ようと思うのだ。

(0:52 Nov.17 2001)


Nov.15 「キーボードの話など」

Happy Hacking Keyboardが新しいMacで使えない。まあこれまでのように、MacとWindowsをひとつのキーボードで使うよう細工をしたがどうも調子が悪いという話。USB版のHappy Hacking Keyboardを使えばいいがそうすると二つのOSを一つのキーボードで使えなくなる。それは面倒。しかたなしにアップル純正の日本語キーボードを使ってこれを書いている。文章を書くのがなんだかぎこちなく、手をけがしてうまく字が書けない人のようだ。しょせん慣れの問題。どこにキーがあるかさえ探したりする。あと机の上が狭くなった。
■Mac OS Xを、10.1にアップグレードした。前バージョンをろくに使っていないのでなにがどうよくなったのかわからない。高速になったという話だが体感できない。それにしても、iMac以来、Appleはたいていのものが「i」ではじまるのはなぜなのか。「iBook」「iPod」「iTunes」「iTool」。それで、PAPERSも「iPapers」にしようかと思ったほどだ。しないけど。

■病院の予約の日だった。杏林大学医学部付属病院精神神経科へ。K先生の顔を見るだけでなんだかほっとする。「そろそろ、薬が効いてくるころです」とのこと。「意欲は快復しましたか?」
■じつはその予約の仕組みを前回来たとき誰も説明してくれず、なにも知らぬまま来てしまった。ほんとは9時半の予約だったとのこと。結局、二時間ほど待たされた。説明してくれなかったことに腹立たしい思いをしたが、そうして感情的になってくると「感情的になったこと」に対して重い気分に襲われる。「感情的になること」がほんとうにいやで呼吸さえ苦しくなる感じだ。不安がやってくる。いろいろ思い出す。8月の末ぐらいからの都合の悪いことだけ記憶を消す薬のようなものはないのかね。でも、9月11日のことは忘れられない。小説ノートとニューヨークのできごと。なにかにつきうごかされて書こうと思う。
■K先生と話しをしたらだいぶ落ち着いた。「意欲」も少しは出てきたのだ。
■外に出ると天気がいい。帰りはバスで京王線の仙川の駅まで。気持ちがよかった。

■それにしても慣れないキーボードだと時間がかかる。

(3:02 Nov.16 2001)


Nov.12 「熱心について」ver.2

■「同時多発テロ」から二ヶ月が過ぎたことを書こうと思ったとたん、ネットのニュースサイトでニューヨーク近郊の旅客機の墜落を知った。テロではないにしてもなにが起こっているのかよくわからない。

■ずいぶん以前から田中宇(さかい)さんのメールマガジンを読んでいた。その田中さんの出した『タリバン』を読む。べつにタリバンとテロが直結するわけではないが、厳格なイスラム教の神学徒たちによって組織され、教義による政策をラジカルに推し進めたその姿は、思想的にはまったく異なるものの、カンボジアのポルポト派を想起させる。聖書にしばしば出てくる「熱心党」のようだ。熱心は人々のこころをうち支持を得るが、熱心に歯止めはない。どこまでも熱心だ。熱心に刃向かうものは排除される。聖書の「熱心党」もまたテロリストの集団だし、タリバンの政権下におけるアフガニスタンでは教義上、女性は教育を受けることを許されず、国民は音楽を聴くことすら禁止される。彼らはまちがったことをしていない。ただ教義に厳格なだけだし、西洋的な価値の尺度でそれをまちがっているとも非難できない。
■だが、「熱心」は、あるいは「ラジカリズム」と言葉にしてもいいそれは、いつだってニヒリズムに転化する。
■20数年前の、鉄パイプで殺された者ら、鉄パイプを振り下ろした者らもまたそうだった。あのニヒリズム、あのくらさには、「ラジカリズム」が本来持っていた、かつてあったはずの解放感はなにもなかった。オウムもまた同様に。連合赤軍もまた。そして、ミシマも。
■かといって、「熱心」を否定する「ふざけ倒そう」という態度は、古くからある一種のアナーキズムだ。原稿の冒頭に「ぼくはばかです」と書いたある作家がいた。「ふざけ倒そう」という一環だろう。それを読んだとき、この人は「ばか」ではないと思った。「ばか」はみずから「ばか」と宣言しない。「ぼくはばかです」と書いて「ばか」ではないことを主張する。それでその作家のことを僕は、「ほんとうのばか」だと思った。
■つまりそれもまた、原理主義。「ふざけたこと」をしようと熱心になってがんばっている。がんばらんでいいがんばらんで。

■ある方から、書きかけている小説、『28』について大きなヒントを与えられた。啓示のようなもの。なぜそれに気がつかなかったのか不思議なほどだが、それで突然、『28』が書けると思った。薬のせいか精神的にも順調。さらに「油断」について書いてくれたSさんのメールがまた届いてそれも面白かったし、岩崎書店という出版社の方から、しりあがり寿さんとコンビで絵本を出しませんかとの話。楽しみがひとつできた。
■なんだか元気が出てきた。少し回復。なんとかやっていけそうだ。そんなわけで、今度アップルから発売される、iPodがほしくなったのだった。関係ないけど。

(1:26 Nov.13 2001)


Nov.10 「油断について」

■Sさんという方からのメールがすごく面白かった。全文引用したいくらいだが、かなり差し障りがあるので一部を。8日分の日記に書いた「油断」についての話。Sさんはしばらく「油断」していたそうだが、会社に気に入った男性を発見してから「自分の見た目に対してストイックな精神が戻って来ました」という。
■「やはり、モチベーションが大事なんですね。何ごとも。そのモチベーションを自分で publish できる人には、『思い込み』という才能があるのだと思います。それが、いわゆる『お帽子』被ってそうな『女優』さんの特異さなのだとしたら、宮沢さんは擬似的にその才能を授ける才能をお持ちなのかもしれません。『女優』を作っちゃう才能。そういうようなもの」
■どうかな。うーん。女優に限らず「演出の仕事」のひとつは俳優のいい部分をどうやって発見するかだと考えている。こういうふうにすると、この人の魅力は最大限に生かされるとか、こういう役だからこそ、この人の魅力が出現する、新しい面が生まれると考えるが、女優にしろ、俳優はみんなばかものだから、それに気がつかない。「一週間であと5キロやせろ」はかなり極端な言葉だが、ただの意地悪にしか受け止められない。出番が多けりゃいいと思ったら大間違いだがせりふの数でいろいろ考える。こっちの苦労もしらないで。
■べつに「やせる」ことだけではないし、「見た目」だけじゃない。内面がそのまま出るのが俳優。「油断」はいろいろあるはずだ。俳優だけではない。表現者は。人は誰だって。
■「女優を作っちゃう才能」
■これはなんだか、うれしい言葉だった。

■以前からよくメールをもらっていたIさんから「パニック障害」について教えていただいた。Iさんはもうずっと「パニック障害」で通院なさっている。「宮沢さんが『パニック障害』というのを拝見して、驚いてしまいました」とあった。
■「以前、主治医の先生に、『治るのにどれくらいかかりますか?』と尋ねると、『短い人で2週間、長くて33年ですね』と、さらっと言われました。でも、本とか、ホームページによると、早く病名が分かって、早く治療を始めた人は、治りも早いようです」
■この方に比べたら僕など程度の低いほうだ。メールで話を読むませていただくとほんとに心配になるが、僕もまたそれを少しでも実感したからだろう。ワークショップ中の、あの「怒っているファミレスの人」のできごとは自分でも理解できない状態だった。いままで味わったことのない「不安」で感情が支配された。ひどい人になると倒れて救急車で運ばれるというが、僕はおそらく二週間でなおる患者にちがいない。だけどわからなかった。あの「不安」がまったく理解できない。ずっとウツ気味で、その理由ははっきりしていたし意味もわかっていたが、突然やってきた「不安」には抵抗できなかった。いや、「不安」と言葉にすることすらはっきりしない感情だ。
■早いうちに病院に行ってよかった。Mさんという方から、「島ではなく、松沢病院に行くべきだと思います」というメールがあったのがきっかけで、その後、杏林大学医学部付属病院を教えてもらった。最初は二、三行の短いメールにそうあったので、悪意のこもった攻撃的なメールかと思った。自己紹介はなかったし、挨拶もなくいきなりの言葉だ。名前も匿名。アドレスはフリーメール。SMTPサーバもよくわからない。つまり、「日記を読む限りあなたはきちがいなんだからさっさと病院にゆきなさい」という悪意に解釈した。そう解釈するのもどうかしている。こうしてサイトを開き、実名も、アドレスも公開している以上、どんなメールが来てもしょうがないが、いろいろなことがあって「メール」にひどくおびえていたのかもしれない。
■その後、Mさんから何通かメールをいただき、適切なアドバイスを受けて助けられた。とても感謝している。

■香川県のNさんからわたしも日記を書いていますというメールをもらった。「ネオアコースティック音楽」に関する日記。面白かった。とくに、11月8日の文章は笑った。


(23:28 Nov.10 2001)


Nov.8 「偶然、人に会う」

■僕の舞台によく出ていた女優にばったり会った。バイトの途中で休憩しているという。結婚もし、舞台からしばらく遠ざかっている。少し太ったのではないか。それで思った。
■こいつ、油断しているな。
■以前もこんなことがあった。久しぶりに舞台に出てもらった人と稽古初日の顔合わせで会ったらあまりの「油断ぶり」に驚いたのだった。だけど不思議なもので二ヶ月近い稽古と本番の舞台が終わるころには、しっかり女優になっていた。なんだろうあれは。「舞台七不思議」のひとつである。
■リーディングの公演、ようやく具体化。出演者も決定。小田豊さん、手塚とおる君、宋ひさこ、で、手塚君が京都には行けず、京都公演は、塚本耕司君。塚本君は、『鉄男』『東京フィスト』などを撮った塚本晋也監督の弟。
■また稽古。12月は京都。気分が変わるだろうか。

(2:09 Nov.9 2001)


Nov.7 「少し書いてみる」

■寝屋川のYさんのサイトで、母親とクールべ展を見に行った日の日記は笑った。『死の床でのプルードン』を見、「誰かしんどがってはるわ」と母親。その日にも読んでいたがあらためて読んでまた笑った。それで少し気分がよくなり、同じように僕の日記を読んで気分をかえてくれる人がいるかもしれないと思い、というか、実際そういったメールを何通かもらったが、「書こう」とYさんの日記に喚起された。
■村上龍がなにかで話していたのは、ネットで活動しても経済的にはほとんど見返りはないという話だが、同時に、そこにあるのは「経済的に換算できない価値」だという。インターネットでの情報の発信はそのようなものにちがいない。「価値の共有」と「オープンソース」がインターネット魂。送り手は、なんらかの見返りを受ける。経済的なものだけではないもっと異なる性質の見返り。「価値」とはそのようなものだ。
■毎日は無理でも書こう。誰かを笑わせたい。ただ笑わせられたらいい。

■ヤンキースのクレメンス、ダイヤモンドバックスのシリング、そして、ランディ・ジョンソン。もう30代後半だというのに150キロ台の速球をびしびし投げる。シリングにいたっては中三日での連投。ジョンソンは前日七回まで投げて優勝を決めたあの試合でリリーフまでした。あのタフぶりはなんだ。どっかおかしいんじゃないのか。タフじゃなくちゃな。タフでなければいけない。僕もかなりタフだと思っていたが今回の精神的な疲労で年齢を実感した。ちょっと悲しい。それにしても今年のワールドシリーズは面白かった。野球のシーズンが終わった。イタリアと日本代表のサッカーも終わった。あーあ。
■映画でも見よう。浅野が推薦してくれた、マイケル・ウィンターボトムの『ひかりのまち』はいい映画だ。マイケル・ナイマンが音楽を担当しているが、目立たないように抑えて使われているのが印象に残った。三人の姉妹を中心に家族たちとその周辺の人々が淡々と描かれる。上から二番目の娘は、出会い系サイトみたいな電話サービスを使って男と会うが、セックスをして、セックスをしたからなおさら彼女の悲しみと孤独感を深くする。ありふれた話かもしれない。だけど、ありふれた日常のなかにある普遍性を、スピード感を増したカサヴェテスみたいなタッチで描くスタイルはとても心地いい。その娘の髪型が見ているあいだずっと気になっていたが、近所に住むひきこもりの黒人の若い男と、朝、仕事へ出かける途中で一緒になり、ふたりいい感じになるのだが、若い男がはにかみつつ好意的に、「そのヘアースタイルいいね」というせりふは笑った。気になっていたんだよな、見ている者だれもが気になっていたんだ。だけど大事なのはそんな単純な言葉かもしれない。けっしていいとは思えない髪型。さえない女の子。でも、ごくごく単純な言葉が相手に届く。それがラストシーン。うまいなあと思った。

■でもって、Power Mac G4は快調である。まだあんまり使ってないけど。
■Macのキーボードを使うのはあまり好きではないが、CDドライブの出し入れのためのスイッチがキーボードについているのは気に入ったし、音楽CDのボリュームまでキーボードから調節できるのもいいものの、でかいから机が狭くなる。マウスはすごくいい。光学式だし、デザインも。やっぱり本体のデザインもかっこいい。
■MacOSXを少し試してみた。なにかウィンドウを開いているとしよう。Windowsでいうところの最小化みたいなことができるようになっていて、その瞬間、驚くべき効果が。ひゅーんといった感じのアニメーションでDocに収まる。あと、日本語フォントがすごくきれいになっている。細部はまだよくわからないが全体的な印象は、BeOSとか、Linuxだった。古くからのMac使いには評判のよくないOSXだが、僕はわりと気に入った。
■デジタルビデオの映像を取り込み編集したいと思うともっと大きなハードディスクと編集専用のアプリがほしくなる。欲望は果てがない。

■食事をしに、西新宿へ行くことが多い。驚いたのは、あれだけ繁盛していた牛タンの「ねぎし」ががらがらだったことだ。狂牛病の影響か。くだらない。こうなったら牛ばかり食ってやる。

(5:23 Nov.8 2001)


Nov.5 「11月8日発売」

■ダイヤモンド・バックス、ワールドシリーズ優勝。そして、白水社のW君が『月の教室』の見本を届けてくれた。付録のミニCDはかわいかった。11月8日発売。白水社刊。あと、小説ノートのデザイン変更。

(21:23 Nov.5 2001)


Nov.4 「気分を変える」

(22:53 Nov.4 2001)


Nov.3 「 更新情報」

小説ノートを更新しました。

(7:48 Nov.3 2001)


Nov.1 「病院と、きのうのこと」ver.2

■月のはじめ特別篇。

■このところもらうメールは、「最近の宮沢さんがなにをしているのかわかりませんが」と本文の最後に付されていることが多い。本来、わからないのがふつうだ。仲がよければ連絡を取り合うんだと思うけれど、そう考えると日記を毎日書き続ける「行為」はかなりおかしなことかもしれないものの、「身辺雑記」というエッセイのジャンルがあるくらいだから、これもまた表現の一方法。日記の公開ではなく、「日記という形式」による表現である。
■「日記という形式」を使って、「世界政治」を書く人もいるし、「思想」を説く人、「ミドリ亀の飼育」「日々の仕事」「子育て」「取り組んでいる研究」を書く人だっている。僕もまた、ネット上で人の日記を読むのがかなり好きだ。文体、文章、表現のしかたからその人が伝わってくる。
■まだ精神的には本調子ではないけれど、月はじめなので書こうと思います。

■病院に行って来ました。
■ある匿名の方、誰なのかまったくわからない方からメールをいただき、病院に行かれたほうがよいとアドバイスされたのです。病院と担当医師のお名前もメールに記され、紹介していただいた。
■杏林大学医学部付属病院精神神経科。京王線つつじヶ丘駅からタクシーで10分ほど。かなり待たされて病室に入る。K医師にどうぞと声をかけられ椅子に腰を下ろした。精神科にかかるのははじめてだし、医師と向かい合うのは緊張したが、K医師はとても穏やかそうな方でゆっくり話を聞いてくれた。
■八月の後半に起こった小さな事件が自分でも気がつかないほど尾を引いていること。それからずっと軽いウツだと話すと、「それは苦しかったでしょう」とおだやかな口調でおっしゃる。感情的になって事件の相手に送ったその後のメールとそれを後悔して苦しんだこと。相手から来た最後のメールから受けた強い痛み。さらに、「同時多発テロ」に対する個人的な動揺、それ以来、一連のニュースを見ると得体のしれない不安感に襲われること、ワークショップのとき参加者のやった行為がファミレスの人をひどく怒らせ、それに対して、怖いとか怯えるというのではなく、いままで感じたことのない不安が意識を支配したこと。そして、そうした状態に拍車をかけるように発生した、ごくごくプライベートな事件について、ここには書けないことをはっきり話した。
■特に、ファミレスの事件に触れ、「パニック障害という病状があるんですよ」とK医師。「なおしましょう」とおだやかに言う。「なおりますよ」
■ゆっくり話を聞いてくれたのはうれしかった。これまで、こういったことに自分はまったく無縁だと思っていたが、人はどこでどうなるかわからない。「なおす」ということ、「なおる」ということがとても新鮮な言葉に感じた。なおさなければいけない。仕事ももちろんある。リーディングの稽古もはじまる。でも、それだけのことではなく「なおす過程」によってもっと多くのことを教えられるように思えた。ゆっくりやろう。あせってもしょうがない。K医師のおだやかな表情を見ていたらそんな気にさせられた。薬を処方してもらった。気持ちが少し楽になった。やっぱり来てよかった。
■杏林大学医学部付属病院の建物は大きく、とてもきれいでいい病院だった。気持ちがよかった。それもいいほうに影響したのかもしれない。

■きのう(10月31日)のことを書こう。
■男たちばかりが、遊びに来たのだった。



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■右から、コアラ君。何年か前のワークショップに来ていた、浅野、太野垣、足立。映像コース一年のY君、Y君と東急文化村の映画館でバイトしていたという、申し訳ないが名前を失念してしまった二人。この二人がまた、面白かった。それでもって、床は市松模様。
■久しぶりに映画の話をした。浅野やY君たちはすごく映画に詳しい。映画について話しだすときりがない。で、浅野から「ひかりのまち」のビデオを借りた。すごくいい映画だそうだ。島へ行ったときの話をきっかけに旅行のこと。さらにスポーツ。野球の話で盛り上がったが、スポーツのなかでもF1はなぜつまらないんだという話になったら、それまで黙っていた足立が、「僕好きですよ、鈴鹿にも行きました」と言ったので笑った。「目の前で見るとすごいですよ」
■なにやら、得体のしれない情熱を感じたのだった。
■楽しかった。男ばかりも楽しい。

(20:50 Nov.1 2001)