市松生活はしばらくお休みです。2003年1月の遊園地再生事業団公演『トーキョー・ボディ』までの困難と辛苦の日々を記録する、「トーキョー・ボディ」がはじまります。360人の応募者があったワークショップ形式のオーディション。12月に予定されているリーデング公演(下北沢スズナリ)、そして年明けの本公演までの約四ヶ月。いったいなにがそこにあるのか。遊園地再生事業団、二年ぶりの作品はいったいどんな姿をしているのか。だめになっているか。新しい境地へまた歩き出すのか。攻撃あるのみだ。そんな日々。ご期待ください。


Sep.30 mon.  「大阪から帰ってすぐに仕事をしようと思うが」

■ホテルで目が覚めたら朝の11時少し前だった。チェックアウトの時間だ。フロントから電話。すぐに用意をしてホテルを出る。どうせ大阪に来たのだから少し観光でもしようかと思ったが疲れている。繰り返すようだがiBookは重いのである。これを運んで歩くのはうんざりだ。しかもYからもらったうんどもあるし、大阪市立大学で手渡された資料もある。あきらめた。天王寺界隈というか、通天閣界隈も歩いてみたかったし、心斎橋も行きたかった。
■あと、名古屋の市立美術館でいま、ルネ・マグリット展をやっており名古屋で途中下車し見に行くのも魅力的な企画である。パリに行ったときポンピドゥーセンターで見た「シュールリアリストの革命展」の展示のひとつマグリットの作品がやけに印象に残り、もっとゆっくりマグリットを見たいと思っていた。そのまとまった展示。見るべきだった。疲れに負けた。
■のぞみで東京へ。東京駅に着いてしまえばあとは比較的楽だ。中央線に乗り換え新宿へ。そこから歩いて家まで戻る。風が気持ちよかった。台風が接近しているとの気象情報。秋だなあ。すっかり秋だ。
■多少の疲れは残ったが、もうだめだというほどではない。来年の春からはこうした生活だ。東京と京都を行ったり来たりする。大丈夫だと思った。新幹線の2時間ほどがそれほど苦とも思えない。むしろその二時間強を、本を読むことにあてればいい。

■それはそうと、きょう30日をもって「市松生活」は終わる。次は舞台までの日々をつづる 「トーキョー・ボディ」というノートだ。舞台までの格闘の日々。トーキョー・ボディへの道のり。それを求める日々の記録。ご期待ください。

(3:16 Oct.2 2002)


Sep.29 sun.  「シンポジュウム」

■朝8時過ぎに家を出て、のぞみで大阪へゆく。
■大阪市立大学で、大学院が主宰するシンポジュウムがあるからだ。
■関西に来ることが当然ながら増えたものの新大阪まで新幹線で来ることはあまりなかった。京都を通り越してさらに先に進むのが奇妙な感覚だ。新大阪から、地下鉄・御堂筋線に乗りかえ「あびこ」まで行く。メールでそう教えていただいたが、「あびこ」が大阪のどのあたりかよくわからない。梅田、心斎橋、なんば、天王寺と聞いたことのある駅を過ぎてさらに先へ。新大阪から30分ほどで「あびこ」に着いた。駅前からタクシーに乗ろうとするとタクシーの並び方が変だった。縦に並んでいれば当然のことながら、先頭のタクシーに乗ろうとするだろう。で、先頭のタクシーに声をかけると、運転手さんがうしろのクルマに声をかける。最後尾にいたクルマが前に出てきて僕を乗せる。並んでいるタクシーがいっせいにバックする。「あびこ」では、いちばんうしろのクルマに乗るのがタクシーの流儀だったのだ。

■少し走ると大阪市立大学に到着した。大学らしいキャンパスだ。広い敷地にいくつかの建物。けれど集合場所として指定された建物はほかとは異なった姿の現代的な高層建築だ。シンポジュウムは2時からはじまる。進行は、何度かメールをいただいた大阪市立大学の中川さんである。パネラーは、僕のほか、京都造形芸術大学の小林さん、NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク代表の佐東さん、名古屋大学大学院教授の清水さん。最初、各自の話がある。15分という制約があっていちおう話すことをまとめてコンピュータに入れてきたが話しているうち混乱してきて話したいことが次々思いつき、まとまらない話しを30分もしてしまった。もっと端的にまとめた話をすればよかったと大いに反省する。こういう場で話す技術がないのだ。
■その後、質疑応答。会場全体がかたい印象を受ける。
■これはことによると、ある種の学術シンポジュウムではないだろうか。なにか場違いな場所に来てしまった気がする。休憩の時、市立大学の大学院生なのか、若い人に話しかけられた。僕の話を聞いて、「言葉」の問題など哲学の分野とシンクロしている部分があるのではないかという短い話しをする。もっと話したかった。そこで出てきたのはヴィトゲンシュタインの名前。勉強しよう。ヴィトゲンシュタインを読もうと思った。

■それにしてもiBookは重い。もろもろの資料、話す内容をまとめた原稿を入れて持って来たがひどく重い。ってまあ、ハードディスクに収められたデータが大量になればコンピュータが重くなるわけではないが、そもそもiBookって機種が重いのだ。小型軽量が「ウリ」なのになんだこれは。一泊なので荷物は最小限にしたがこの重さはただごとではない。VAIOのノートを買えばよかったかと少し後悔した。
■終わって、参加者の方たちと帰る。京都に帰る小林さんと佐東さん、名古屋に帰る清水さんと別れ僕はホテルを取ってもらった天王寺で地下鉄を下車。取ってもらったホテルの名前がすごい。「天王寺東映ホテル」。部屋に備え付けの浴衣には映画会社の東映と同じマークがプリントされている。面白かった。でも比較的ちゃんとしたビジネスホテルだ。
■天王寺の駅前から遠くに通天閣が見える。不思議な光景を見ている印象だ。デジタルカメラを持って来なかったのを後悔する。だけど、iBookとデジタルカメラを同時に運んだら俺は死んだ。
■うちの大学の学生、HとYが心斎橋にいるというので天王寺まで来てもらい三人で食事をした。ふたりはきょう伊勢まで行ってお祭りを見たという。で、重いところにもってきてYから伊勢土産のうどんをもらう。いらないとも言えず持ち帰る。また荷物が重くなった。
■ひさしぶりの関西。久しぶりの関西の言葉。喫茶店にいても横にいる人から聞こえる大阪風のイントネーション。言葉が面白い。正確に書けば、その言葉を発する「からだ」と「からだ」からにじむ文化が興味深い。二年間ほどになる関西での生活はとても意味があった。

(14:22 Oct.1 2002)


Sep.28 sat.  「ペット可の意味とはなにか」

■29日にある大阪市立大学のシンポジュウムで話すことをまとめようと原稿にする。
■以前、早稲田に呼ばれたときもそうだが、なにか話すときはいつも原稿を書くものの、それを「読む」という行為はどうも気恥ずかしい。つまり台本があって、しかし、台本などないかのように「話すふり」をする気恥ずかしさだ。「ふり」というやつだな、それが気恥ずかしいのは、「ふり」にはつねに隠蔽されるなにかがあるからだろう。だけどそれができてしまう人たちがいて、そして「ふり」ではないと思いこませる技術がきっとある。
■結局、芝居の話になってしまう。芝居のこと、演劇のことになんでも結びつく。そんなことばかり考えていることに自分でもあきれる。
■人前で話すときのノウハウがまだうまくつかめない。話すことはできる。いろいろな場所で話す機会があってだいぶ慣れた。もっとうまい方法があるのではないか。たとえば、与えられた時間でぴたっとおさめるといった技術。学校の教師はすごかった。見事に時間通りに終わると、いまごろになって感心する。経験だろうか。ワークショップで受講者を前にして話すことはいつもやっているが、それとはまた異なる場での「話すこと」だ。そこにはやはり、「話したい」という情熱も必要なのだろうか。「情熱」を伝えると書くとあきれた話しになるが、その「情熱」さえ「演技」するところに、「投資した100万円が10倍になります」と語り出す種類の詐欺師の見事な「芸」が存在するのかもしれない。
■それはいやだ。話しながら「うそくさい気分」になったら、もう話す気がしなくなる。

■午後、買い物に行く。
■郊外型のホームセンターをネットで探し、三鷹にある「Jマート」という店を見つけた。Jマートは巨大だった。ペットを店内に連れて入っていいということになっているので、やたら犬がいる。許可されているからってわざわざ犬を連れてきているのではないか。ペット同伴を許可するのは、店としてはペット用品を置いていることのサービスなのだろうが、誰に向かったサービスなのかよくわからない。動物に対してなのか? だけどそんなところに連れてこられても犬はべつにうれしくないと思うのだ。
■夜おそくなり、あした早い時間の新幹線で大阪に向かうから眠らなくてはと思うが原稿がまとまらない。あせる。いままで書いてコンピュータに入っている原稿を引っ張りだし、カットアンドペースト。まとめる。だけどこれも過去に考えていたことだ。いま少し考えが変わっている。
■しかし新しい考えをまとめようと思ってももう時間がない。考えているうちに夜はさらに深夜へ。

(3:35 Oct.1 2002)


Sep.27 fri.  「いまデパートの屋上がわびしい」

■ふと思いたったのは、「市松生活」を終了し、10月からこのノートを「トーキョー・ボディ」にするということ。次の公演に向けての日々が10月からはじまる。戯曲を書き、ワークショップがあり、リーディング。そして稽古。公演。今回のワークショップはオーディションを兼ねている。きょうが締め切りだった。結局、340人の応募者があったという。驚いた。

■昼間、蒲田に行ったのである。演劇ぶっくの取材だ。蒲田駅前にあるデパートの屋上に観覧車があるということでそこを指定した。デパートの屋上はわびしい。雨だったのでなおさらさみしく、観覧車がやけにファンシーなのは気になったが、ファンシーだけになおさらわびしいのである。
■で、写真撮影の前にデパートの中にある喫茶店でインタビューだ。インタビュアーはコントをやっているという若者だった。おそらく最初に紹介してもらったはずだが僕は人の話を聞いているような顔をしてほかのことを考えていることがしばしばあるし、人の名前を覚えるのがだめだ。聞き逃してしまったのではないかと思うのは、とうとう、最後まで彼の名前がわからなかったからだ。途中で、「きみ、誰だっけ?」と聞くのは失礼だろう。で、たまに編集者の人らが「○○君は……」と呼んでいるので、お、いま名前が出た、と緊張する。それで名前がわかるはずだが、よく聞き取れず、しまった、また聞き逃したと、そのスリリングさにインタビューどころではなかったのだ。
■取材も終え、写真撮影も終えて、制作の永井と、彼をクルマで下北沢まで送ることにした。永井が彼に「○○さん」と呼んだのだがやはりうまく聞き取れない。「○○君」は僕の本をぜんぶ読んでくれているという。なかでも『考える水、その他の石』は一冊ぼろぼろになったので、さらに新しく買ったという。エッセイを読んでいる人にはよく会うが、『考える水、その他の石』をそんなに読みこんでくれる人にめったに会ったことがなかったのでうれしかった。うれしかったのに、とうとう名前がわからずじまいだ。
■以前、なにかのテレビ番組でコントをやっているのを見たことがある。何組か出ているなかではいちばん好感のもてる人たちだった。だけど名前はわからないのだ。ほんとうに申し訳ない。

■夜、三軒茶屋のシアタートラムで、伊藤キムさんのダンスを見る。
■大学で一緒に教えている伊藤高志さんが映像を担当している。伊藤さんの映像はふだんの作品の持つ魅力とは異なるとは思うがコラボレーションとしてダンスと映像による調和の面白さを感じた。コラボレーションはひところしばしば使われた言葉だ。なかなかにむつかしい。うまく成功するのはまれだ。コラボレーションはコラボレーションであって、集団として存在し集団内で作業したらコラボレーションではないだろう。つまり、「自立した作家」同士が、ある一定の時間を共有してする共同の作業だ。むろん、伊藤キムさんの舞台だから、キムさんのダンスが中心だが、それを邪魔せず、かといって映像が死んでいるわけではないと思えた。
■映像を使うのは、僕も80年代の半ばからやっていたことだし、古くはブレヒトも使っていたから新しいことではない。というか、僕はある時点で飽きた。いま使うことの意味はなんだろう。必然性があって映像が舞台と調和することの意味。そのことを考えて舞台を見ていた。つまり「使い方」といった方法のことだけではなくコンセプトの側面から映像を考える。僕も次の舞台で映像を使いたいからだ。「試み」の手がかりとしての「映像」である。
■なにかきっとあるはずだ。失敗するのがいやで、無難に舞台を作ることもできるが、無難ほどつまらないものはない。あと、340人に期待する。そこでどんな人に出会えるか。刺激し、劇を喚起してくれる、まだ会えぬ遠くにいる未知の誰かに会いたいのだ。

(14:22 Sep.28 2002)


Sep.26 thurs.  「ポルトガル料理」

■久しぶりに渋谷に行った。新潮社のN君、M君と会って食事をする。約束は6時半だったが5時には着いてしまい公園通りあたりをぶらぶらする。日が短くなった。すぐに町が暗くなって色とりどりの照明がまぶしい。

渋谷

 東急ハンズのある通りのハンズと道をへだて、少し路地を入ったところにシスコやマンハッタンレコード、中古レコード屋が並ぶ一画がある。店にはいるとアナログレコード特有のにおい。においに懐かしい気分になる。レコード屋に入るのも久しぶりだ。最近買うのはCDばかりだ。アナログが並ぶ棚がすごくいい。たしかにアナログは部屋にあると場所を取っていまの家でも大量のレコードの整理にどうにも困っているが、でもいいよ、音もいいし、モノとしてそのものが。

 公園通りを渡って、かつてはラブホテル街だったあたりにも雑貨屋だの洋服屋だのがさらに増え様相が一変している。ここらあたりにカフェが最近増加したと聞いたが、京都のカフェのような静謐さはぜんぜんないという。カフェだったら京都。東京のカフェはばかものが出入りして騒々しいが京大前の進々堂など行くと、大人が多い。勉強している学生がいたり、本を読む者らでとても落ち着いた空間だ。とはいえ、渋谷の喧騒もまた面白い。新宿ともちがう。もちろん池袋とも。

■N君、M君と待ち合わせしたのは、松濤にあるポルトガル料理の店。松濤公園に向かう道の途中にある。むかしその先に住んでいた。松濤といえば、渋谷駅から10分ほど歩いた位置にあるにもかかわらずその一画に入ると突然、閑静な住宅街になる言わずと知れた高級住宅街だ。大使館も多いがこのあたりもずいぶんかつてと変わった。
■ポルトガル料理は珍しい。はじめてだ。とても美味しいが、これぞポルトガル料理という特色はどこらあたりかよくわからない。むしろ出てきたワインの名前が「バスコダ・ガマ」だったのが面白かった。バスコダ・ガマだ。日本酒の名前に「伊能忠敬」とあるようなものではないか。
■小説の話や、舞台の話をする。とても楽しかった。
■で、『28』を書こうと意欲がさらにわくのだ。もう書きはじめてから7年ぐらいになるわけだし、なにをぐずぐずしているのかと思う。『サーチエンジン・システムクラッシュ』は発表したとたん、いきなり評価され、文芸時評にも多く取り上げられたが、次の作品、『草の上のキューブ』はまったく話題にならなかった。自分としては『草の上のキューブ』のほうが充実感があったし、小説としてずっとよく書けているのではと思ったが、わからなかったな、この落差が。で、N君の「あれほどコンピュータを身体化している小説はかつてなかった」という言葉に救われた。しかし、だからこそ、「コンピュータ」というだけで嫌悪感を抱く人たち、あるいは、「ハッカー」や「ハッキング」「クラッキング」という行為を含めた「コンピュータ文化」が、政府が提唱したあの浅薄な「IT革命」という言葉や概念とはまったく無縁だとわかってもらえないだろうし、同時に、そういうことは「文学」とは異なる世界のこととして「文学」の問題にはならないのかもしれない。
■だったら「文学」でなくていい。しかし新しい「文学」を書きたい。というか、『28』はいま書くのに苦しんでいるが途中までは、小説を書く行為そものものがとても楽しかった。世界を構築してゆくのは「箱庭」を作るようにとても楽しい作業だ。その悦びを忘れないようにしつつも、しかしモノを作る苦しみはなんだって同じだ。演劇も。そこであきらめない。簡単にできちゃうようなものは、つまらないにきまっている。

■N君が六本木の青山ブックセンターに行くというので、クルマで移動。六本木店はたしか深夜2時頃までやっているはずだ。読みたい外国小説が何冊もある。マルケスにしろ、ピンチョンにしろ、あるいはリチャード・パワースもそうだがあの莫大な世界観はなんだろう。とてつもなく広大な小説世界だ。これはやっぱりあれでしょうか。狭い道の先に車庫入れするのがうまくなってしまう不幸な国民には無理なことなのでしょうか。
■渋谷駅までN君を送って明治通りを家まで戻る。代々木の手前、原宿警察の先を左に折れ、その先からうねうねした細いカーブが参宮橋まで続いている。狭い二車線なのに対向車もすごいスピードだ。スピードを出しつつも2速にギヤを落としてエンジンブレーキをきかせ、一度もブレーキを踏まずにここを走れるか試すのが、いまのわたしの趣味。

(10:48 Sep.28 2002)


Sep.25 wed.  「この国の不幸」

■なにもしていなかったのである。
■去年、精神的に調子が悪くなって以来、人と接触するのが、「おっくうになっている」というか、どう表現していいかわからない意識の状態がずっと続いている。無理して大学で授業をし、ワークショップもやる。人と会って心から楽しむことができないのはまずいな。ただ、小説のことなど話ができると思うと新潮社のM君やN君と会うのは楽しみだが、それも結局、仕事の範疇に入ってしまうのだろうか。
■自分で書くのもなんだが、僕はかなり明るい人間だと思っているのに、去年の夏以降どうもだめだ。精神的な疲労がずっと残ったままのような気がする。どんよりしたものが漂っている。明るくしていたり、人を笑わせるのも無理している気がしてならない。これも軽いウツってやつになってしまうのだろうか。軽い風邪みたいなものだろう。でも、ちょっと長い。長引いている。もう一年だ。
■で、寝てばかりいた一日。それでも夜、タバコを買おうと外に出、近所を歩く。世の中は不公平に出来ている。どうしてしまったのかと思うような大きな家がこんな都心の真ん中にある。どんなやつが住んでいやがるんだ。狭い道の先に小さな駐車場があり見事な車庫入れぶりに感心する。なんといっていいのでしょうか、考えてみると、狭い車庫にクルマを入れるのがうまくなってしまうというのはある意味、不幸ではないか。結局、車庫入れのうまさなんか広い国ではどうでもいいことだろう。不幸がそこにある。狭い道の先にこの国の不幸がある。

(1:50 Sep.26 2002)


Sep.24 tue.  「基礎がしっかりしたでたらめ。表現における」

■午後からワークショップだ。40人近くの受講者を相手にするのはひどく疲れる。まあ、はじめてワークショップをはじめたころに比べたら作業に慣れたし、ワークショップを運営する考え方にしろ、技術にしろ、知らぬ間に身につけているのでなんとなく進行してゆく。だからだめだ。
■新しい試みができないのは、「劇」に対して新しいことを考えていないからだろう。
■同時にワークショップをやってゆくなかで刺激されることがないのは、僕の側に問題があると思えてならず、「刺激」を「刺激」として感じられなくなっているのではないか。変なやつ、興味深い人を発見するのが僕は好きで、しかし、「わたしは人とはちがう人間ですよ」という自意識の強い人は願いさげだ。それでもいま、「興味深い人間」に出会えないと感じるのは、僕の見つめる目がくもっているせいだ。「美しい花というものはない」とある人が言い、「花の美しさはある」と続けるとき、たとえばそれは、「面白い町はない。町の面白さはある」「面白い人はいない。人の面白さはある」と言葉を変えてみることもでき、いわば、「美」にしろ「面白さ」にしろ、それらすべて観念からやってくることを示している。つまり、「見る側の視線」が、「美」を、「面白さ」を生み出している。
■「見る側の視線」てやつも、時代のコード、状況が強いるコード、歴史的なコードがあるにちがいないが、それも検討に加えると長くなるのでおいといて……、
■目がくもっているのは、対象への関わろうとする意志の希薄さではないか。
■大学で教え、ワークショップを数多くやり、ものすごい数の人と会ってしまった。人に出会うことに麻痺しているのかもしれないし、出来ることなら会いたくないとさえ思う。すっかり人嫌いになってしまった。ほんとあれですよ、人と電話するのも面倒なんだから最近は。仕事以外に人に会うなんてこともめったにない。

■さらに考えると、これまでの「演劇観」とは異なる意識が僕の中に出現し、ワークショップに限界を感じている部分も確実にある。ワークショップというエクササイズでは発見できない「からだ」を求めているというのが正直な感覚であり、またべつの「トーキョー・ボディ」を求めている。
■劇作や演出なんてそれほどのものではなく、俳優がいてはじめて見つかることのほうが多いのではないか。で、演劇をすることの幸福とは、劇作や演出に対する考えとシンクロする俳優に出会った瞬間だろう。いくら新しい「演劇観」「演劇論」が生まれたところで、それを表出する「からだ」が見つからなかったら、表現が出現しない。とするなら、「劇団」というか、「劇をするための集団」は、表現へのアプローチを実現するためのトレーニングの場として意味をなす。時間のかかることなのだ、それはきっと。「出会い」に期待せず、「作り出す」ことを目的とする。
■「出会い」という偶然を期待するか、「作り出す」という生産性か。
■しかしながら、いくら近代劇における「なんだって記述が可能である」と信じられた演劇論、俳優術をもってしても、「滝沢修」を大量生産することなどできなかったにちがいない。そのことの限界に気がついたのは「時代」のなせるわざだったのだし、時代の思潮が、俳優を生産することのつまらなさに気づき反近代性を持った劇を生み出したのは60年代か。

■そこに「過渡期」に特有の幸福な劇のぶつかりあいがあったとも考えられる。
■「近代劇」と「反近代」のぶつかりあいはしかし、近代的演技作法と地続きでいながら、それを反転させようとする試みであり、「意図を持ってする反転」には、奇妙な言い方になるが、「基礎がしっかりしたでたらめ」が存在した。だが、そこに二種類の表現者がいたはずだ。「基礎がしっかりしているにもかかわらず、でたらめになってしまう人」と、「基礎がしっかりしてそこから逃れられないにもかかわらず、でたらめを意図してやってみる人」の差異。前者の「なってしまう」は記述できないことだ。「語りえぬもの」というか、「霊的なるインスピレーション」というか、ここから先、あらゆる演劇論が立ち止まってしまうので、とりあえず、語ることが可能なものとしての「基礎がしっかりしてそこから逃れられないにもかかわらず、でたらめを意図してやってみる人」の方法について記述するしかない。
■それが、僕はいやだったのだ、この10年。演劇はすべてがそうだと思えてならなかったからだ。だが、それもまた、こうして考えれば歴史的な産物に過ぎないのではないか。だったら、「基礎的にしっかりした人」でいいわけだよね。そしておそらく求められるのは、その「基礎」である。トレーニング方法である。いまのからだにとって必要な「演技術の基礎」がきっとある。トーキョー・ボディ。それを見つけるためにも来年の新作舞台に向けてスケジューリングされた作業があると思えてならない。

(11:02 Sep.25 2002)


Sep.23 mon.  「高原である」

■昼間、青山にある、青山ブックセンターに行った。買いたい本がいろいろあってきりがない。小説の資料になりそうなもの、そのほか。
■店内にあるギャラリーで森山大道の小規模な写真展をやっていた。なぜこの人はこんなに黒々と写真を焼くのだろう。60年代から70年代の写真を感じさせるっていうか、森山さんがその時代の人なのだろうけれど。『新宿』という写真集が発売されたばかりで話題だ。いまなぜ森山大道なのか。でも、買うだろうな、『新宿』、買ってしまうことだろう。
■でも、自分でも町を歩いて写真を撮りたくなった。それを紙焼きして、壁に貼り付け、映像から喚起されるもので劇を書こうかと思った。トーキョー・ボディ。それを写真に撮りたくなった。

■夜はワークショップ。ワークショップに参加している男で、やけにからだがしっかりした男がいて、どうなっているのかと思っていたが、野球をやっていたという。しかも、アメリカに渡ってベースボールアカデミーに通い、独立リーグのテストを受けたことがあるというからすごい。契約ぎりぎりのところまで行ったらしい。アメリカの野球はすごいな。メジャーを頂点にものすごいヒエラレルキーの構造があり、しかもプロとして、独立リーグのほかにもいくつかのマイナーリーグがある。
■そんなわけで今年は、サッカーの年だった。ワールドカップだ。Jリーグが発足した年、サッカー人気に負けまいと球界全体が巨人を優勝させようとしたように、今年もお約束として巨人が優勝する。横浜がその役割を担ってヤクルトには勝つが巨人にはきっちりと負ける。となると実質的な優勝は二位に位置するヤクルトである。やっぱりヤクルトは強かった。横浜は巨人優勝のためにわざと最下位になったのだから、実質的な最下位は阪神だ。ただ野球をより盛り上げなくてはいけないということで、シナリオ通りワールドカップが終わる6月までは阪神も上位にいさせてもらっていた。すべて筋書き通りにことは運んだ。
■野球は筋書きのあるドラマである。
■そして、重要なのは、ジュビロの高原がFC東京戦で見せた4ゴールだ。すごかった。ほんとうのストライカーの出現だ。そろそろ巨人が優勝して消化試合がはじまる。消化試合になったら神宮へ、ヤクルト・横浜戦でも見に行こうと思う。消化試合のあのだめな球場の雰囲気。覇気のない選手たち。日増しに濃くなる秋の気配。そんな神宮球場の味わいにこそ、いま野球を見る魅力がある。

(12:01 Sep.24 2002)


Sep.22 sun.  「クルマの話をする」

■クルマの調子がごく一部おかしいので遊びがてら、クルマを買った店がある南大沢まで雨の中を行く。

■南大沢は遠い。八王子市だ。京王相模原線の沿線だが、クルマで行っても時間がかかる。甲州街道を調布まで行って電通大のある交差点を左折。そこまでが近く感じるほど南大沢は遠いのだった。さらに走る。途中、道がわからなくなった。何度か行っているのにすぐわからなくなる。いちばん近いコースを選んだはずだが道に迷うとお手上げだ。遠回りをしてなんとか店にたどりつく。
■このTCロサリーという店を選んだのはただの偶然で、たまたま91年式なのに2万キロしか走っていないVWゴルフ2を発見したからだがこの店がとてもよかった。高西さんという整備もする店の主人もいい人だった。あと、なぜか西洋人の整備士もいて、どこの国の人かわからないが、やたら日本語がうまい。ある日、店に行くとその日に限ってやけに客がきていた。部屋に人がいっぱいいるところへその外国人が入ってきて、いきなり「混んでるなあ」と日本語で言ったのには笑った。

■以前、城田あひる君からなんのクルマに乗っているのですかと質問がメールであったとき書くのを躊躇していたが、話の流れでいまさらだが書くと、「VWゴルフ2」というもう10年前に製造が中止された車種だ。その後のゴルフ3とか4には全然、興味がない。すごく単純に、デザインというか、「フォルム」で決めた。つまり四角いのである。最近のクルマの丸っこいデザインはやはり携帯電話と同様、炊飯器を思い出しどうしても乗りたくなかったのだ。

■最初、ほしいと思ったのはやはり10年以上前のVOLVO240GLだ。
■かなり四角い。ところがでかい。クルマの長さを調べたらいま借りている車庫に入らないとわかったのだった。なにしろそのガレージは変則的で、屋根付きシャッター付きだが狭いところにベンツとアルファロメオが止まっており、駐車すべきスペースは横にベンツ、背後にアルファロメオがある。ぎりぎり240GLが入っても毎回、アルファロメオにぶつける恐怖を感じるのはいかがなものかと思ったのだ。ゴルフ2は小ぶりでよく走るが、機会があったらやっぱり240GLに乗りたい。
■で、60歳を過ぎたらポルシェだ。60歳からのポルシェである。その歳になってスピードを重視するというのはどうだ。それがかっこいいと思うわけだ。ベンツはちょっといやだなあ。もう手放してしまったがうちの父親ですらベンツに乗っていた時代である。しかも「浜松」ナンバーのベンツだ。そんな恥ずかしいものをよく乗っていたものだ。わたしは「ナンバー」は絶対的に差別する。なにより恥ずかしいのは「練馬ナンバー」だ。この微妙さかげんがだめである。だって、「練馬」だよ。大阪には「なにわ」というひらがなの恥ずかしいナンバーがあるが、「練馬」に比べたら数段いい。だったら「なにわ」に対抗し、「ねりま」とひらがなにしたほうがいいのではないか。いっそのこと「ねぎま」はどうか。

■白水社のW君からやはりいまクルマを探していると少しまえメールをもらったが、その後、どうしただろう。小さな子どもがいるので安全性を重視すると言っていた。だったらベンツだ。ベンツはいいクルマに決まっている。ステータスというだけじゃなく、実質的にいい。正真正銘のいいクルマだ。そこへゆくと、ゴルフはドイツのカローラである。国民車である。
■だけど四角いフォルムだ。
■ゴルフ2にしろ、240GLにしろ、デザインというか、フォルムにひかれた要因は、よくよく考えてみたらつまり、「初期のMacintosh」なんだと思う。初代Macから、SE30あたりまでのMacの形、デザインとどこか通じるものがある。あれがとても好きだ。それと同等の感覚でゴルフ2がある。はじめは240GLがだめだったので妥協して乗りはじめたクルマだが、毎日乗っていると愛着がわいてくるものだ。

■いかん。こんなことを書いている場合ではないのだ。やるべきことは山のようにある。書くべきことはもっとあるはずだ。

(10:48 Sep.24 2002)


Sep.21 sat.  「キューブリック」

■拉致された何人かは状況から考えるとあきらかに政治的に殺されたのではないかと想像できいよいよくらい気分になる。
■そんな折、深夜、BSでスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を観た。その直前、キューブリックのドキュメンタリーをやっていた。俳優、映画監督、当時のスタッフらのインタビューを中心に構成され途中から観たのが惜しいほど面白かった。で、『博士の異常な愛情』だが、はじめて観たのは20代のはじめころ。ピーター・セラーズの怪演を見ていると、あれはなんだっけな、『チャンス』というタイトルだったか、こころあたたまる映画に主演していた晩年のセラーズからは想像も出来ないほど鋭い演技に感動する。ついつい、「ハイルヒットラー」と口にしそうになり右手が例の総統に対する挨拶の挙手になってしまうのを必死に押さえる演技が鬼気せまる。その狂的なドイツ人の科学者、ドクター・ストレンジラブの最後の台詞、「総統、歩けます」もまたぞっとする。背筋が寒くなる。
■この映画で彼は、「大統領」「イギリス空軍から出向している軍人」そして「ドクター・ストレンジラブ」の三役をこなす。うまいとしかいいようがない。 
■で、キューブリックとともに脚本に名前を連ねている、「テリー・サザーン」が気になるのだ。中学生のときに観た、リンゴ・スター主演のイギリス映画、『マジック・クリスチャン』は脚本ばかりか監督もやっていたのではなかったか。記憶が曖昧だ。モンティ・パイソンについて「イギリス的笑い」と書いてしまう人に僕は批判的だったが、『博士の異常な愛情』を観ると、やっぱりテリー・サザーンが加わったことでこれはイギリス的な、モンティ・パイソンにもつながる笑いのテイストがあると思わざるえない。ちなみに、『マジック・クリスチャン』にはモンティ・パイソンのジョン・クリーズがちらっと出ている。
■『博士の異常な愛情』はぞっとするような笑いに充ちたドタバタ喜劇だ。
■明るい笑いではない。毒とアイロニーに充ち、それでいてキューブリックらしい綿密な作り。頭に異常をきたしている人間しか出てこないが、喜劇らしい「滑稽」を演じるのではなく、いたってシリアスだ。今回、再見して演出のすごくうまい場面を発見した。ソ連に「R計画」という核攻撃を仕掛ける作戦を出してしまった頭のいかれた指揮官が執務室の洗面所で自殺する。その場にいあわせたセラーズがやはり演じる軍人が洗面所のドアを開けようとするが、うまくあかない。おそらく自殺して倒れた指揮官のからだがそこにあって、塞いでいるのだろう。そのリアリティが死んだ指揮官の状態を想像させて不気味だった。ごく小さな演出。見事だと思った。もちろん、イギリス軍人がようやく解明した「攻撃解除を示す暗号」を大統領に電話したいが公衆電話しか使えず、だが小銭がない。彼を拘束しようとする軍人に対してコカ・コーラの自動販売機を銃で撃って小銭を出すように促す場面のくだらなさ、皮肉はすごぶる面白いけれど。

■冷戦下における、核の全面戦争による世界滅亡の危機を背景に、恐怖を笑うアイロニカルなキューブリックの視線がすごかった。
■あまり関係がないが、来年1月の遊園地再生事業団の新作は、『トーキョー・ボディ』というタイトルでこれまでとは異なる「からだ」へのアプローチを考えている。それは「エロス」というか、「性的」なものになると思うのであって、強度な政治言語としての「セックス」「ジェンダー」を書こう、表現しようと、ふと思いたった。そのためにも、町を歩こう。見に出かけよう。

(10:35 Sep.22 2002)


Sep.20 fri.  「トーキョー・ボディ」

■24時間営業のファミレスは仕事をするためにある。
■早朝、気分がよかったので、小説の作業をしようとiBookを持ってデニーズに行った。
■家の近くにもデニーズはあるが、初台店はだめだ。なぜだかやたら客の柄が悪いように感じる。新宿が近いからだろうか。東横線沿線の祐天寺に住んでいたころ、やはり24時間営業のデニーズが近くにあったので深夜よく仕事をした。あのころはまだ、手書きと、コンピュータを半分づつ使っていたのではなかったか。しょっちゅう行くうち店の人に顔を覚えられた。いちど考えごとをしていたらお金を払わずに店を出てしまったことがある。次の日、また同じデニーズに入ったら、そのときの伝票を差し出された。無自覚な無銭飲食だ。だけど、もう一度、同じ店に行く無銭飲食はいないと思う。しかし、考えごとをしていたからって、支払いを忘れたとはあきれたし、なにより、次の日デニーズに行ってはじめて払っていなかったことを思い出したのもどうかと思う。

■原稿を完全にコンピュータで書くようになってから外で原稿を書く時間が極端に減った。
■ThinkPadを使っていた豪徳寺時代、環七沿いにあるロイヤルホストにはよく行ったが、祐天寺のころほど外で原稿を書かなかった。岩松さんや、別役さんが、喫茶店で原稿を書く話は有名だが、落ち着いて原稿が書ける喫茶店も次第に数が少なくなっているのではないか。カフェは照明が暗くて仕事にならない。
■青山霊園の近くにある「デニーズ・南青山店」は24時間営業だし比較的落ちついている。iBookに入れた『28』を読み直す。霊園が近いせいか窓の外に緑がよく見える。朝だ。気持ちがよかった。

■午後、制作の永井が家に来た。
■来年一月の本公演、その直前にあるリーディングのことなど打ち合わせ。リーディングは11月の予定だったが、急遽、劇場の関係で12月になったのだった。タイトルを早く考えないと宣伝もできないというので、突然、『トーキョー・ボディ』にした。このあいだからこの言葉が気に入っていたのだ。内容はそこから考えるっていうか、いま気分が『トーキョー・ボディ』なのである。この言葉から生まれるなにかが、モチベーションになって舞台に向かっていける。イメージがふつふつとわいてくる。それで「東京のからだ」を見にやはり町に出かけなければと思うのだった。
■筑摩書房の打越さんからも「タイトルを」というメールが届いていた。単行本のタイトルが決まらないと装丁もできないという。困った。

■夕方、また経堂に行ってしまった。はるばる亭が店を開いていた。香麺ではなく、醤油味のラーメンに鶏肉を乗せた「とりそば」を食べる。うまい。久ぶりに美味しいラーメンを食べた。

(14:17 Sep.21 2002)


Sep.19 thurs.  「ばかのことを考えていると憂鬱になる」

■液晶のテレビモニターにすると、電気の消費量が31パーセント減少するというCMを見た。
■前提になっているイメージは「環境保護」にあるのだろうが、だったらテレビを見る時間を31パーセント減少させればいいのではないか。というか、テレビの放送時間を31パーセント減少させてもいい。ビデオを見るのを減らして映画館に行くのを推奨するとか31パーセントはほかでまかなったらいかがなものか。さらに、液晶テレビにすると寿命も延びることがまた環境保護になるというのなら、いま使っているテレビを修理する体制を強化し寿命を永遠に近づけることのほうが、新しいものを売るよりいいと思うし、そもそも、環境保護をいうならテレビはないほうがいいのではないか。
■あの手この手で、消費させなくてはいけない、資本主義の論理。

■やっぱりかよと予想どおりのことが起こったのは、朝鮮学校の子どもたちへのいやがらせだ。ボクサーの徳山選手のネット上にある掲示板が嫌がらせの書きこみのせいで閉鎖された。
■ばかをどうしたらいいのだ。北朝鮮の国家的犯罪を許すことはできないが、国家体制の問題であって民族とは関係がない。朝鮮総連に抗議する右翼はそれが仕事だから、たとえ騒々しく他人に迷惑がかかっても右翼なんだから、もう、あなた、あれは、ああいったものであるので、しょうがないと譲歩し、右翼の迷惑はともかく、朝鮮学校に通う子どもに向かっていやがらせをするばかをどうしたものか。
■アメリカのテロのあとイスラム教徒に対するいやがらせや暴力が問題になったこと、あるいは、「在日韓国人」「在日朝鮮人」の歴史に対する無知についても書こうと思ったが、ばかのことを考えていると、ひどく憂鬱になるのでやめる。

■小説について考えていた。「月」に関する資料を読んでいたが文字が小さいので目が疲れる。考えるより書きだすしかないのだな。やっぱり文章は手が書いている。

(15:27 Sep.20 2002)


Sep.18 wed.  「ノイズを聞きに」

■オペラシティの中にある、ICCで開催されている「ダムタイプ:ヴォヤージュ」のインスタレーション展を見に行く。過去の作品のビデオも上映されていた。僕は生で観たのが「pH」しかないのでダムタイプについてなにか書くことなど出来ようもないが、ビデオで観る「S/N」は面白かった。
■セックスやジェンダー、あるいはエイズは、強度な政治言語だと、「S/N」を観てあらためて思う。
■過去の政治言語ではとらえきれない様々な現実があり、そうした政治運動もまた存在しているのを多くの人は知っているし、もちろん、市民運動や各種のNGO、あるいは左翼も含め、政治的な活動は多様だが、こつこつ積み上げるような日常的に存在するそれら多くの運動とはべつに、かつてスタンドプレーとも思える派手な「闘争スタイル」を打ち出し旅客機を乗っ取ったグループについて、いまこそ憤りを感じるのは、むろんのこと連中が北朝鮮で、のうのうと生きているからだ。
■しかも帰国したいと泣き言を口にする。ばかもやすみやすみ言え。闘争を貫徹したらどうだ。どういう闘争だったかいまとなってはなんだかわからないけど。

■夕方、久しぶりに「はるばる亭」の香麺が食べたくて小田急沿線の経堂に行ったが店はしまっていた。またかよ。店主のわがままには何度も泣かされた。なんのための経堂だ。この町も少しずつ変化している。ちょっとだけ歩いたが、なくなっている店があり、新しくべつの店になっている場所もあった。
■かつて住んでいた町の周辺を歩くのは面白い。懐かしさもないとはけっしていえないが、こちらの感傷とは関係なく町は動いており、その生きている町がいろいろなことを想像させてくれるのだ。そうしたこちらの思いなど、町と、そこに住んでいる人にとってはどうでもいいことだろう。

■ところでいま、東京はどうなっている?
■たとえば、演劇では、どこそこの舞台が人気があるとか、誰それという若手が注目されていると話には聞いても、どうもぴんとこない。現場に僕が足を運んでいないからだろう。いや演劇のことはどうでもいい(ほんとはよくないが)。町はどうなっている? とはいえ、歩いても見えてこない。どこの町を歩いても動きがはっきり見えない。こちらの目がくもっているということか。目に見えないなにか。裏側でうごめくものを見たいのだ。
■はなからそんなものは存在しないのだろうか。
■ダム・タイプは京都から活動をはじめた。環境としてとてもよかったのではないか。東京からはじめようとすれば、どうでもいいような雑音にじゃまされるだけだったろう。京都の独特な、すんだ空気はものを作るうえではとても貴重だと思う。すんでいながら、適度に熟した文化や、とくべつな歴史。
■ただ、「ノイズ」の面白さもきっとあると思うのだ。東京ならではのもの。ノイズのなかから、ひとつの音を聞き出すことの面白さ。あるいは、ノイズ全体をからだでまともに受け止め跳ね返す。それはそれできっといい。

(14:40 Sep.19 2002)


Sep.17 tue.  「北からのニュース」

■朝、やけに早く目が覚めてしまったのであらためて午後まで眠ろうと思ったところ、関東電気保安協会の人が検査にやってきたり、届け物があったりで、すぐに起こされ、眠らないまま、午後からワークショップだった。
■仕方がないというわけではないが、アメリカの小説家、スティーブン・ミルハウザーの『バーナム博物館』を読む。短編集(白水社)の標題になっている一作。「博物館」という幻想性にひかれて手にした本である。タイトル通り幻想に充ちた小説だが、「幻想」をリアリズムかと思うような精緻な筆で描写してゆくのが面白い。作家について「最後のロマン主義者」と紹介があったが、否定されるにきまっているがむしろポストモダンな作家ではないのかと感じた。たとえば、『探偵ゲーム』という短編の「仕掛け」などポストモダン的だと感じる。
■読まねばならぬのだ。一日一冊は読まなければいけない。
■で、意を決して小説、『28』の準備をはじめる。440枚まで書いた小説をこんどこそ完成させる予定だ。で、小説に必要な「月」に関する資料がみあたらない。ものを探すことで人は膨大な時間を無駄に使っているというのを新聞にあった「整理技法」の類の本の宣伝コピーで読んだ。ばかやろう、ものを探すという行為そのものがすでに、「創作」の第一歩であり、たとえ家の中ですぐに必要な資料が見つからず時間をかけて探したたとしても、その時間、その経過がものをつくる上では大事だ。家の中に限らず、図書館や書店、古本屋。そしてなにごとも。探すことの過程に含まれる豊かなもの。しかし、結果的に見つからないときの徒労感をどうしたものか。

■また雨だ。うちからワークショップをやっている演ぶの稽古場のある曙橋までたいした距離がなくクルマだと15分もかからない。自転車でもたいした距離ではないだろう。歩いてもいける。天気がよかったら歩こうとすら思った。というのも、クルマだと新宿あたりで本屋に入ろうとしたとき駐車するのがやっかいだからだ。いまクルマで通うのは単に車庫入れが楽しいからだ。
■ぴたっとまっすぐ入れたときのあの充実感はなんだろう。
■ああ、そうですかと言われるのを覚悟で書けば、僕は不器用なので最初からなにごともうまくいかない。繰り返し試みる。そうやってものを獲得することの面白さだ。最初から楽にできたら面白くないではないか。なんでもそうなのだと思う。

■ワークショップは以前上演したことのある作品のごく一部をやってみる。戯曲を読んで観念でこうして芝居するのだろうという窮屈さから、いかに脱するかという課題。とりあえず、ごくあたりまえの上演形態でからだにならし、それからこれをいろいろな演出でやってみる。たとえば、ものすごく狭いところで同じことをしてみるとか。これは以前もやったことがあったが面白かった。なにしろ、芝居する相手がすぐ近くにいる。ここで学ぶべきは「距離感」と、目の前にいる人物とどうやって関わって芝居を組み立ててゆくかという訓練。
■手伝いに来ている伊勢を新宿まで送って家に戻る。
■小説の準備。ただ、すごく眠かった。小説を読もう。短編ひとつでもいいから読む。北朝鮮からの悲痛なニュース。今後起こるであろうニュースの波紋と影響をいろいろ考える。暗い気分になる。

(9:54 Sep.18 2002)


Sep.16 mon.  「秋めいてきた」

■急に秋めいてきた。涼しいというより寒いくらいで、油断して薄着でいたらくしゃみが出た。
■この季節といえば、「読書の秋」ということになっているが誰が考えたコピーなのだろう。うまいコピーだ。出版社関係から出てきた言葉なのだろうと思うが、秋になると読書するのがあたりまえのような雰囲気を作った。私はこの7月、大学が終わって時間ができたら、一日にひとつは小説を読もうと心がけていたものの、野望は、野望である。野望は野望のまま終わる。結局、坪内逍遙の『当世書生気質』『京わらんべ』『細君』など小説を読んだし、『小説神髄』の再読をしたけれど仕事だ。「一日ひとつの小説」の目的は達成できなかった。
■さらなる野望はあった。映画を見ること、美術展をもっと観ることなど、欲張りと思えるほどのプランを立てていたが、たいていはだめでした。繰り返すようだが、家を出るのがおっくうになっていた。

■夜から、またワークショップ。人数が少し減ったので気分的には楽である。ただ、昨夜、というか深夜、近くの食事をする場所がどこもあいていないと吉野屋の牛丼をテイクアウトして家で食べたら胃が猛烈に痛くなった。このところ牛丼はだめである。牛丼を食べるたびに胃が痛くなる。で、胃の痛みをひきっずったままワークショップ。調子がどうも出ない。みんなに悪いことをした。
■ふたつの言葉だけを使ってする小さな劇の発表。言葉と状況を自分たちで考える。面白いものいくつか。というか、アイデアを競うことではなく、シンプルでいいからそこで対話する、相手と向かい合うといったごく基本的なことをからだで実感するためのレッスン。まだ、かたい。人は経験がなくても、どこかで「演技」というものを見ているから芝居を目指すのだろうが、「芝居する」とはこういうことではないかという思いこみがからだをかたくしている。それをほぐす。
■あっというまの三時間だった。

■帰り、手伝いに来ていた太野垣と笠木をクルマで送る。千葉まではやはりゆかない。曙橋から靖国通りを走って笠木を九段下の地下鉄の駅で降ろす。それから太野垣を中野まで送って家に戻る。休日だからか道はすいていた。少し雨。夜の雨のなかを走るのはやっぱりいやだな。
■胃痛はなおも続く。

(9:13 Sep.17 2002)


Sep.15 sun.  「桜の園」

■チェーホフの『桜の園』を読んでいた。
■もちろん、「チェーホフを読む」という仕事のための読書だが、以前、読んだのがいつだったか思い出せず、ただ、ところどころに線が引いてあって読んだ痕跡があるものの、線の意味がわからない。なにかひっかかることがあってそこに線を引いたはずだ。で、それがとんでもない箇所だったりして面白い。なんでここなのか少しあきれたりもするのだ。
■で、作業のためのチェーホフノートを作る。資料をのりで貼り付けたり、メモをしたり、ノートとして仕事上で意味があるというより作る作業が楽しいのだった。ただ、資料のコピーにスプレーのりを噴射すると必要のないところまでのりが飛んでやっかいだ。手がべたべたする。僕はべつに研究者ではない。チェーホフを分析するというより僕がどう読んだか、研究者が読まないような視線からどうチェーホフにアプローチするかを要求されているのだと思う。研究者ではないが、こうした資料の整理やノート作りは楽しくそれは僕ばかりの話ではないだろう。だから、「整理用文房具」の類は需要があるのではないか。
■文房具店が好きだという人は多い。新しい文房具を手にすると、なぜか仕事ができるような気分にさせられるから不思議だ。コンピュータにもそういうところはあるな。新しいハードにしろ、ソフトにしろ、新しければ仕事ができるような気にさせられる。幻想だ。ぜったいそんなことはない。生産性が高まることはあるだろう。だけど、生産性と、いい仕事はべつものだ。きっと。
■新しいものを次々生みだし消費をあおるより資源を大事にしたらどうだ。だけどエコカーを買えとあおられる。消費が高まらなければ経済は停滞する資本主義のジレンマ。

(13:27 Sep.16 2002)


Sep.14 sat.  「だめへの意志」

■世の中は三連休らしい。僕には関係がない。
■夕方から横浜のSTスポットで小浜のダンスがあるので観に行こうと思っていたが、昼間、ジュビロとエスパルスが負けたのでふて寝してしまった。申し訳なかった。サッカーに左右される人生。夜、起きて「一冊の本」の連載を書く。
■そういえば、まわりでTOTOをやっている人の話をほとんど聞かない。ワールドカップと日本代表の試合は観てもJリーグには興味がないということか。というか、TOTOは、ギャンブルではありませんと言わんばかりのイメージづけがいけないのではないか。あきらかにギャンブルなんだから、ギャンブルらしいダーティさがなければ人の興味をひかないだろう。あやういものに人はひかれる。近よっちゃだめなんだ、だめなんだと思いつつ、だからこその魅力があるのであって、「ギャンブル風」は、「風」のぶんだけ魅力が半減だ。
■最初、僕もやってみたがすぐに飽きた。試合を観る方がずっと面白いと思ったからだ。

■とはいうものの、考えてみたらギャンブルそのものにも興味がなかった。
■うちの父親と妹の競艇好きのことは以前も書いたが、誘われて一緒に行っても次またやろうと思わない。競馬もパチンコもだめだ。面白いと思わない。なぜなのかな。むかし父親から、「ギャンブルもやらないからおまえはだめなんだ」とわけのわからない叱られ方をしたことがある。ふつうはギャンブルで借金を作って叱られるものではないのか。
■ギャンブルに興味はないが、ギャンブルをしている、特に、「だめな人」を見るのは好きだ。「だめ」が漂っている人たちには独特の味わいがある。だから競艇場や、競輪場にいる人を見ているのは面白い。あと、夫婦でパチンコをしているうち、クルマに置き去りにした子どもが死んでしまったという事件はしばしば発生し、あの「だめ」はただごとならず、子どもには同情するが、「だめな夫婦」は特に興味の対象だ。だってかなりばかではないか。夢中になっている。パチンコのことで子どもすら忘れる。こうした状態の人が面白くないわけがない。で、子どもの死に涙を流したりするんだろう。この「涙」がさらに「だめ」を強調する。ばかだよほんとうに。

■だめはいい。だめをまっとうできる人。だめに対する強い意志だ。すごいと思う。ジュビロとエスパルスが負けたくらいでふて寝するだめは中途半端だ。なれないな。人生を棒にふるほどのだめ。あれはやはり意志だろう。強い意志と勇気を持ってだめに邁進する。
■父親で思い出したが、僕がクルマの免許を取ったことをなぜかすごくよろこんだ。これが変だと感じていたが、考えてみると、父親が考える「一般的な人がするだろうこと」の、ほとんどを無視して生きてきたので、クルマの免許を取ったことでようやく「普通の人らしいことをした」と喜んだのではないか。でも、45歳にもなって免許を取るのもまた特殊ではないのか。
■いなかに帰ったとき、洗車している僕のことをやけにうれしそうに見ていた。たまに帰って、洗車しなくちゃいけないのかもしれない。これが親孝行なのだろうか。よくわからない孝行である。

(12:44 Sep.15 2002)


Sep.13 fri.  「高田馬場」

■原稿を書くあいまに、毎週送っていただいている「週刊文春」を読む。
■小林信彦さん、土屋賢二さん、近田春夫さんのエッセイは面白い。坪内祐三さんの文章を読んで、久しぶりにリチャード・ブローディガンを読もうと思った。10年以上前に自殺したアメリカの小説家である。女性の書き手の一部の方たちはなぜこうも自分のことばかり書くのだろう。「ああ、そうですか」としか言いようがない。とりあえずお金をもらう原稿なのだから、「自分はこういう人なの」「自分のまわりでこんなことがあってこう思ったの」といった内容を書く態度に原稿料をいただくことへの節度があってもよさそうなものではないか。あと含羞とかね。
■相変わらずほとんど家を出ないまま原稿を書いていた。
■と、僕も自分のことを書くが、どこからもお金をもらっていないからこのノートはこれでよい。
■筑摩から出る単行本である。「あとがき」はわりと早く書けたが、野田秀樹に関する原稿の書き直しに手間取った。それも書き終える。引き続き、「一冊の本」の『機械』を読む原稿。横光利一の『機械』という小説は400字詰め原稿用紙にすると54枚ぐらいの作品で、それをもう五年かけて読んでいるが、まだ三分の二程度のところまできたところだ。で、あたかも、初めて読むかのような態度で毎回の原稿を書いているが、なんど通読したかわからないと、手の内をばらすのもなんだが、このところは原稿に取りかかるたびに一通り読んでから書くことにしている。
■しかしまるで初めて読んで、先のことがわからず書いているように読ませる。そのことが書くよろこびだ。楽しいのである。

■夜、ちょっとした用事で高田馬場までクルマでゆく。新宿を越え、明治通りに入ると途端に渋滞。地下鉄工事をしているらしい。また新しい地下鉄ができるのだろうか。明治通り沿いにできるのだとしたら、東京の移動手段もかなり変わる。これはすごい。だけど、そんなことより都心の交通をすべて24時間運行にしたらどうなのか。そのほうがずっといい。タクシーは困るだろうけど、たとえば、舞台をやるにも夜遅い時間から開演する大人のための公演があってもいいではないか。
■東京は雨だった。
■高田馬場の駅前には、酔っているばかな早稲田の学生がいっぱいいた。

(11:05 Sep.14 2002)


Sep.12 thurs.  「楽しい夕餉」

■学生のY君とMが遊びに来た。オペラシティで「ダムタイプ」のインスタレーションをやっているとのことでそれを見たという。夕方、オペラシティまで迎えにゆく。ほんとは僕も一緒に見る約束をしていたが、朝まで原稿を書いていたら午後、ひどく眠くなってしまった。午後は睡眠。
■夕食。それからずっと話をする。ふたりは意欲的にいろいろなものを観ているし、大学の授業で、たとえば『A2』を撮った森達也監督の授業も面白かったといい、そうした話から刺激を受ける。このところ僕は家を出るのがおっくうになってしょうがない。仕事を口実にし、外に出てなにか観ることになまけている。だけど実際問題、やるべきこと山積、うまく時間を使いわければいいが、そう器用にできたら、もっと仕事を精力的にしているはずだ。できないのだ。できないものはしょうがない。
■ビデオなど観る。ふたりは映像コースの学生。映画について、映像作品について、いろいろ話して面白かった。
■夜遅くなったので、クルマでY君の実家まで送る。雨が降ってきた。雨の夜道を走るのはこわい。

(7:48 Sep.13 2002)


Sep.11 wed.  「一年が過ぎた」

■いうまでもなく、9月11日である。あれから一年が過ぎてしまった。世界の情勢より僕にとっては、「小説ノート」を書きはじめてからの一年だった。いま停滞しているが、ほんとは書こうと思うことを少しずつ積み重ねている。また再開しよう。再開しようとして、しかし戸惑っている。
■テレビのニュースでは繰り返し「あの日の映像」が映し出される。
■こうなるともう紋切り型の表現のようだ。あの日、永井から届いたメールに「ニューヨークはテロで大変なことになっていますね」とあって深夜テレビをようやく見、事件を知った。あの映像を目にした。生でそれを知ったわけではないので映像から受ける衝撃はあまりなかった。作りもののように見えた。それより小説ノートとの符合に驚き、それからずっと小説のことを考えていたし、あらためて「できごと」を、文学の、というか、演劇も含め、表現全般の問題として受けとめようと思った。
■そりゃあもちろん、「政治」の問題としては大きなできごとだったにちがいないし、テロにしろ、その後のアメリカによるアフガニスタン空爆には怒りを抑えられないが、それより表現する者としてこれをどんなふうに理解し、作るものに反映させていったらいいかとそればかり考えていた。手がかりが見つからない。来年の舞台にそれがどう反映するのか自分ではわからないが、むろん、ストレートに「政治」を作品にするのは凡庸すぎる。だから「小説ノート」を書き続けなければと思うが、多分に個人的なことだったし、モデルがいて、取材してゆくうち知ってはいけないことをいくつも見つけてしまったことで、ものを作ることの倫理のようなものにある壁を感じざるえないばかりか、表現の手だてを持っている作家の傲慢さをどうしたらいいか戸惑うのだ。
■だけど書こう。モデルになったその人のためであり、それしか僕にはできることがないからだ。

■大学で疲弊し、原稿を引き受けすぎて手一杯になり、ワークショップで奇妙な疲れが蓄積されてゆく。
■なにをしているのかわからなくなってきた。やるべき大事なことがぜったいある。来年の舞台はもちろんだし、それと小説。『28』も中途半端になっている。この夏はこれを書くはずだったのだな。だめだなあ。坪内逍遙で夏が終わったのだ。あと、車庫入れ。
■深夜、9月11日をテーマにした世界中から選ばれた11人の監督による短編作品のオムニバス映画をテレビで観た。イランの映画の水準はかなり高いと思った。『友だちの家はどこ』にしろ、子どもがどうしてこうも映像の中で生き生きとしているのだろう。面白かった。

■あれから一年が過ぎた9月11日だ。

(11:16 Sep.12 2002)


Sep.10 tue.  「疲れている」

■ほんとは午後二時半からワークショップがあったのだった。
■きのうと同じように、夜からだろうとかんちがいした。朝までずっと、大阪市立大学で開かれるシンポジュウムで配布されるレジュメのための原稿と、筑摩から出る単行本の、野田秀樹に関する原稿の書き直し、さらに「あとがき」を書いていた。時間があるから大丈夫だと思ってずっと書いていたが力つきて昼少し前に眠る。午後、寝ていると、何度も電話がかかって起こされ、うるさいので音を消した。それでまた眠る。目を覚ましたのはもう夜だった。
■というわけで、突然の休講になってしまったのだった。ほんとうに申し訳ない話である。まあ、なんというか、自分でスケジュールを管理する能力がないというか、なにかに集中していると、ほかのことはどうでもよくなってしまうというか、だめなものはだめだ。
■何度も書くようだが、ワークショップをやりすぎた。大学の授業で学生たちと向かいあうのもひどく疲れるが、ワークショップで人に会うのも、このところどうも疲れてならないのだ。神経を使う。人と接することで生まれる疲れが、やけにストレスになって蓄積される。変だな。もちろん、舞台をやれば稽古は疲れるが、かつてとは質の異なる疲れだ。おかしい。

■実業之日本社から送っていただいた山崎浩一さんの『千話一話物語』を読む。面白い。帯に「新世紀の悪魔の辞典」とあるように、そのときどきの現象を象徴する「言葉」を標題にした文章が79本収録されている。たとえば、「ひきこもり」とか、「パラサイトシングル」「IT革命」「サヨク」「ウヨク」といった現象を解いてゆく手つきが見事だ。どれか例をあげて面白かったものを紹介したいが、どれも面白い。
■で、たとえば自分の本、『よくわからないねじ』のいくつかの文章は、読んでいると気分が悪くなる。だめだなあと思うのである。だめだなあと思えなくなったら、それこそだめだけど。
■で、思い出したが、『よくわからないねじ』の帯に、「使用上の注意」とある。「オブラート」について書いたエッセイの中にある「袋オブラートの使用上の注意」の流れでそうしたのだろうが、1)ひとりで夜中に読む 2)ムフフと笑って大丈夫 3)だってヘンな本だもの、って、それ失礼だろ。人の書いたものに向かって「ヘンな本」とはなにごとだ。しかも「ヘン」がだめだ。なぜカタカナ表記なんだ。誰が書いたのかしらないが、「変」をカタカナ表記にするあたり「昭和軽薄体」に影響された世代の人じゃないかと思う。僕はそれを否定してエッセイを書きはじめた。
■筑摩から出る単行本のタイトルも悩むところだが、『よくわからないねじ』も悩んで結果的にこうなった。最初、担当の編集者の方がタイトル案をいくつか考えメールで送ってくれた。めまいがした。すぐに返事を出し、「ぜんぜんだめです」と書いた。それで、『よくわからないねじ』になったが、するとこんどはゲラに書いた僕の手書きの文字、「よくわからないねじ」をそのまま印刷してタイトルとして使うという。すぐに返事を出した。「それでは、326や、相田みつをになってしまいます」と書いて納得してもらった。いやあ、あぶないところだった。まあ、そんなことはともかく、ここんところ自分のエッセイを読み返すといやな気持ちになることがしばしばだ。

■で、ふと思い出したが、ダイヤモンド社の方から、「論語を読む」という連載をWEB上に書くよう頼まれているのをすっかり忘れていた。絵本があり、連載があり、ワークショップがあり、論語があったし、ユリイカもある。引き受けすぎた。ゆったりとした時間のなかで集中してものを考えたい。

(7:47 Sep.11 2002)


Sep.9 mon.  「いくらなんでも千葉は」

■筑摩書房の打越さんに直しを入れたゲラを渡した。オペラシティの一階にあるカフェである。タイトルを考えるがどうも思いつかない。舞台など、タイトルが先に思いつき、そこから出発することが多い。今回のようにあとになってタイトルを考えようとするとむつかしくなる。このノートを読んでいる方からも、たくさんアイデアをもらったが、もうひとつぴたっとこない。困った。
■夜からワークショップがあった。ちょっとワークショップばかりやりすぎている。
■受講者が50人近くいて、たとえば二人一組で短い劇をし、それにコメントしてゆくだけでも二時間近くかかった。内容がどうしたって薄くなる。ひとりひとりになにかを話してあげたいが、時間がないのだ。これだったら、講義形式でなにか話をしてあげたほうがいいのじゃないかとさえ思える。それはべつに演劇の話だけじゃない。話してあげたいことはいろいろある。それで少しでも、舞台という表現、からだを使ってなにかしようとする人たちの手がかりになればいい。
■『月の教室』のとき手伝ってくれた太野垣と、僕の舞台によく出る笠木が手伝いに来てくれた。太野垣はバイクで来ていたが、笠木は千葉から電車で来ているので、帰り、クルマで送ってあげようと思ったが、千葉までゆくのはまっぴらごめんだ。千葉に入ると道が突然、砂利道になるはずだ。しかもとたんに習志野ナンバーのクルマばかりになるだろう。そんな道は走りたくないし、そこから東京に戻ったら家に着くのが明け方になってしまう。途中まで送る。
■で、関係ないが、クルマの「助手席」とはいったいなにかが気になる。あれが「助手席」ってことになると、そこに座っている人は「助手」なのか。演出助手は演出の助手をするわけだが、助手席に乗った人は運転の助手をしなくてはいけない。運転の助手はたとえば地図を調べて道を指示したり、おしぼりを運転手に渡したり、運転手がのどが渇いたら飲み物を自動販売機まで買いに走ったりするのだろうか。助手席に座るだけの立場のときはそんなことを考えもせず、ただぼんやりしていた。助手だったとはなあ。で、たとえば4人でタクシーに乗ったとしよう。当然、ひとりは助手席に座る。助手をしなければいけない。客なのに運転手さんの助手だ。タクシーは三人以下で乗るのがのぞましい。

(7:47 Sep.11 2002)


Sep.7 sat.  「届くメール」

■ワークショップに参加していた何人かからメールが届く。返事を書こうと思いつつ書けずにいる。T君、S君、W君、H君など、男ばかりである。いや、いいんだけどね。質問に答えてあげなければ。
■編集者のE君からも単行本の企画に関するメールをもらった。
■企画のアイデアがいくつか書いてあり、面白いと思ったのは、「PC増設時に気をつけたいポイント30」の、例としてあげられていた「増設に向く服装、向かない服装」だ。「向かない服装」を想像してひとり笑う。タキシードはだめだろう。べつにいいのかもしれないが、コンピュータの増設をするにあたってタキシードってことはないじゃないか。で、単行本のサブタイトルに「巨大ファイル交換時代を乗り切る」という言葉や、企画のひとつに「重症ダウンローダー」「ダウンロードのことばかり考えている」という言葉もあって、ブロードバンドの時代、いまコンピュータ世界はそういうことになっていたのかと驚く。音楽はもちろん、映画すら、ダウンロードする時代だ。
■秋からまたいろいろ忙しくなるが、この秋はコンピュータを使ったビデオの編集をしてみよう。WEB作りは飽きたが、新しいことは楽しめそうだ。

■筑摩から出る単行本のゲラチェックはほぼ終わる。ただ各原稿の初出がわからない。どこに書いたかだいたい覚えているが、まるで思い出せない原稿もあるし、媒体はわかっても、初出時期が不明なものが大半だ。書いたそのつどきちんとメモしておくとか、印刷された原稿をファイルしておくとかすればよかった。そんなにわたしはまめではないのだった。
■ユリイカに書いた野田秀樹に関する原稿は、掲載時にもそう考えたが、読み返すと、あと5枚書けばよかったと思う。書き足そう。どうももの足りない。まだ書くべきことがあるというか、最後が注文された枚数に合わせるようにひゅっと終わってしまい不完全だ。それはわかっているものの、ではいざ書こうと思うと、どう書いたらいいか悩む。
■ほかにもこの単行本には、同じ筑摩から出た『明治の文学』、坪内逍遙の巻に書いた「解説」の枚数を減らす以前の原稿を入れることにした。20枚でと頼まれていたが50枚書いてしまった。50枚の完全版を入れる。こっちのほうがぜったい面白いはずなのである。

■で、『明治の文学』坪内逍遙の巻が宅急便で届いた。削ってもまだ枚数が多かった解説(25枚)はぎっしりレイアウトされている。引用部分はたいてい、本文から一行あけ、一段さげるのがふつうだが、「一行あけ」がないのですごく読みづらい。長くなってしまったからしょうがないけれど。
■秋になってきた。
■夏の早朝の気持ちよさがなつかしい。

(0:00 Sep.9 2002)


Sep.6 fri.  「最近の幅」

■先日、ワークショップを受講していた人から面白かった映画は何か質問された。
■「最近では青山真二さんの『ユリイカ』がよかった」と答えると、「最近の映画じゃないですよ」とすぐに返された。もっともだ。ただ考えてみるとこれは相対的な話である。親に連れられて映画を観はじめたのが幼稚園のころで、小学校二年生から一人で劇場通いをし、つまりもう40年くらい映画を観ていることになるので、僕にとっては5年ぐらい過去の映画は「最近の映画」になる。5歳の子どもにとって5年前はものすごく遠い過去だろう。なにしろ生まれた時期だ。20歳前後の人間にしても5年は時間としてかなり長い。僕もかつてそう感じていたはずだが、5年が「最近」になってしまうのは悲しい。そうやって人は「最近」の幅が長くなってゆく。
■恵比寿で『ヒネミの商人』を上演したのは、もう九年前だ。これはさすがに最近ではないので、ほんとに久し振りに恵比寿に行くと駅前は様変わりしていた。
■リーディング公演の場所探しだ。紹介してもらったフリースペースは会議室みたいな空間だった。だめだこれは。外に出て、『ヒネミの商人』を上演した劇場のある建物を探すと、三軒ほど先のビルだった。結局、永井とも相談しリーディングは下北沢の「ザ・スズナリ」でやることにした。もっと新鮮な場所がきっとあったはずだが探すのに時間がなかった。リーディングにふさわしい空間はきっとどこかにあった。
■演劇とは異なる空間。明るくていいんだ。芝居で使うような照明じゃなくてもいい。美術館とか、ギャラリーでもよかった。今後は新しい空間を見つけることに意識的になろうと思った。

■アップルストアーに注文した「Final Cut Pro」が届いた。注文してからすぐに届いたので驚きアップルの本社が近所だから社員が届けにきたかと一瞬思ったが、そうではなく、福山運送の人だった。そりゃそうだろう。アカデミック版を注文するには大学に在籍している証明が必要で、証明書をコピーして用紙に貼り付けFAXで送る。身分証明があってほんとによかった。大学のおかげだ。研究費で買っちゃったし。
■わたしは長いあいだ、身分証明書に相当するものがないまま、生きてきた。せいぜい健康保険証で、ビデオレンタルのときも、出すのは保険証。よるべきなき自由業という職域。とはいうものの、国民にナンバーをふるあれはいったいなにごとだ。国家に対してはよるべなくいたいのだ俺は。
■父親の知り合いに、自分の戸籍がないことに最近になって気がついた人がいたという。ほんとうなのか。これはこれですごいことになっている。いままでどうやって生活していたのかよくわからない。税金を払わずにすむかもしれないが、健康保険はどうしていたのか、子どもの教育はどうなっていたのかわからないことだらけだ。というか、じつはものすごく複雑な事情がそこにある。そして小泉は北朝鮮にゆく。

■寝屋川のYさんの日記がようやく更新されていた。もう大阪に帰っていたのか。東京は大雨。少し涼しくなってきた。

(9:43 Sep.6 2002)


Sep.5 thurs.  「意外に映画について書いている」

■制作の永井から連絡があった。
■リーディングの公演場所だが、恵比寿にあるフリースペースはどうかとのこと。行ってみないとわからない。以前、ボクデスの小浜からメールがあったように、『ヒネミの商人』は、ほぼ9年前やはり恵比寿で公演した。休止あけ、出直しの公演としては恵比寿はいいかもしれないと思った。しかも『ヒネミの商人』を公演した場所とかなり近い位置にある。あした見学にゆく。
■しかし、恵比寿は距離の感覚としてどこか遠い印象を受ける。もちろん下北沢はいまいる場所から物理的にも近いが、演劇を見る感覚でいうと、渋谷までは近く、隣の駅の恵比寿となるととたんに遠く感じるのはなぜだろう。恵比寿と演劇はなぜか遠い。新宿、池袋、下北沢は感覚的に近い。不思議だ。

■筑摩書房から出す単行本のゲラチェックをしていたのだ。せっぱつまっている。せっぱつまっているのにまたBSで黒沢明の『悪い奴ほどよく眠る』を見る。一九六〇年に制作された社会派娯楽映画だ。西村晃がよかった。まさかこの映画を撮っているころ、のちに水戸黄門をやるとは本人も想像していなかっただろう。小悪人をやらせるとこんなに見事な俳優はいない。あと何度見てもこの映画はあとあじが悪い。
■過去の日本映画における、西村晃と小沢昭一はなんて面白いのだろう。ものすごくうまい。
■ニュースではそろそろ、去年の9月11日に関連する報道や特集が組まれるようになってきた。僕はこれまで、「戦争はいやだ」と口にしたことがほとんどなく、それは肌で感じる戦争を体験していないことで「戦争はいやだ」とか「戦争反対」と言葉にしたとたん、うそくさく感じていたからだが、一年前のテロから米軍の報復にいたる一連の経過、あと様々にあった個人的なできごとの連続のなかで、その言葉が素直に書けるように思える。その変化は、べつにニュース映像で知る戦場を見たからというだけでなく、日常に漂う息苦しさ、本質が見えない政治や社会の出来事と無縁ではないだろう。
■辺見庸さんの発言にあった「反国家」とまでは言わないが、「非国家的」であるための表現、「非国家的」な「劇」についてふと思った。それはすごくほのぼのとした寓話になるかもしれない。日常性をおびやかすほのぼのとした寓話の形式による非国家的な表現が、おぼろげながら見えてきた。

■少し前、ハーベイ・カイテルがニューヨークのアクターズ・スタジオの学生の前で話をするというテレビ番組をやはりBSで見た。『タクシードライバー』のぽん引きの役は自ら申し出たそうだが、最初、三つくらいの台詞しかなかったという。監督のスコセッシはもっといい役を考えていたが、どうしてもぽん引きがやりたかった。あのわけのわからない長髪も自分で考え、かつらを作る予算がなかったがスコセッシがプロデューサーにかけあって作ってもらった話は笑った。
■大半のハリウッド映画には興味がないが、ハーベイ・カイテルが出る、いくつかの作品、タランティーノやジム・ジャームッシュなどとの交流によって作られた映画は、アメリカのなかでもある種の、インディーズなというか、ストリートなというのか、なんて表現したらいいでしょう、要するにかっこいいから好きだ。
■単行本のゲラのチェックをしていたら映画に関する文章が意外に多いので驚いた。あまり注文が来ないので書いた記憶がなかったし、映画についてあまり語ることも少なかった。「好きな映画は?」とときどき質問される。そんなの答えようがない。多すぎる。小学校二年生のときからひとりで劇場に行っていたし、まあ、映画はやはり、子どもの時にどれだけ見たかでいろいろ決まるのである。

■そんなわけでさらに仕事はつづく。

(9:43 Sep.6 2002)


Sep.4 wed.  「人生は興味である」

■困ったことにわたしはこのところ、WEB作りにすっかり飽きているのであった。
■大学の、舞台芸術センターのサイトを更新しなくてはいけないが飽きちゃったんだから困りものだ。ふつう人はいくら仕事に飽きても経済的な理由で続ける。わたしはだめである。いくらお金になっても飽きた仕事はやる気が生まれないので、むかし放送の仕事に飽きたときはそのまま外国に逃亡した。いまは車庫入れに夢中なので誰か車庫入れに困っている人がいれば、無報酬で車庫入れに出かけると思う。
■放送の仕事をしているころは月に百万円以上収入があったが、次に興味が生まれた演劇についての原稿を書く仕事は月に二万円にもならなかった。月収二万円弱である。この落差はすごい。でも、興味を優先する。人生は興味である。月収百万円が二万円になってもあまり苦にならなかった。興味のある仕事をするほうがぜったいに楽しいからだ。お金より面白いことをするのがいちばんだ。
■だけどセンターのサイトを更新しなければと思うのは、センターのHさんの顔が浮かぶからだ。Hさんのために作らなければいけない。困った。

■ただ、文章は興味というより、基本的な生活のスタイルというか、生き方だから原稿は書く。WEBデザインは趣味だったのでいつか飽きると思っていたがとうとうきました。
■で、仕事の優先順位というか頼まれている順番で考えると、まず一年以上前から話が進行している筑摩から出る単行本のゲラチェックがあり、岩崎書店の絵本が次にあり、さらにユリイカの「チェーホフを読む」の原稿がある。大阪市立大学でシンポジュウムが9月29日にあってそのためのレジュメの原稿が次にくる。連載もある。小説と戯曲がある。だけど私はついつい車庫入れをしに出かけてしまう。
■車庫入れをするためには、やっかいなことにいったんクルマを車庫から出す必要がある。あたりまえだけど。それですぐ車庫入れし、ハンドルの切り具合や、どの位置からバックすると合理的にスムーズに入るか試そうと実験したいが、借りている車庫は住居の下にあるシャッター付きガレージなのでエンジンの音やシャッターの音などあまりうるさくすると申し訳ないから、少しどこかを走って時間をつぶす。車庫入れのために走る。こうなるとなんだかよくわからない。
■腰が急に痛くなったのでまた鍼治療に出かけた。鍼灸医のある場所は中野区の狭い路地の奥にあり、クルマはその路地の、鍼の先生の家の前にある狭いスペースに停める。路地に頭から入ってゆき、先生の家の手前にある小さな袋小路にまず前から入り、バックし切り返す。入って来たところをまた頭から出るように少し戻り、そこでまたバックして先生の家の前の小さなスペースに駐車する。
■鍼治療に来たというより、こうなるともう、この困難な駐車がしたくて来たようなものである。

■腰は治療のせいでだいぶ楽になった。
■大学の、映像コースのMが東京に来るという。このあいだ大学の発表公演で歌を歌ったMである。家に遊びに来るのはかまわないが、メールに泊めてくれないかとあって、ちょっと困った。誰かMを泊めてくれる奇特な人はいないだろうか。なんならMに、一晩中歌わせてもいい。Mの歌はすごくいい。かなりお得である。そういえば寝屋川のYさんも東京に来ると転々と泊まり歩いていた。Mも東京に友達がいればいいが、いないから僕の家に泊まりたいと言ったのだろう。困った。Mの歌を聞かせるから、誰か泊めてやってくれないものか。
■それにしても、仕事はつづく。

(11:35 Sep.5 2002)


Sep.3 tue.  「写真を撮りに」

■大学に送らなければならない書類の処理など、いくつかの細かい仕事をすませると、夕方、町にぶらっと出た。
■といっても、初台、西新宿あたりは狭い路地を歩いてどこに行くのかわからないような、あの茫然とした散歩にはならず、以前まで住んでいた世田谷とは異なる。世田谷はもともとが農村地帯で、農道を元に作られた道によって構成されているから、どこまでも道がくねくねしている。というか、たいていの土地の道はきっとそうなのだろう。以前も書いたが、京都のH君は、京都の道がどこもまっすぐなのでくねくねいしている状態がよくわからないと言った。京都は特別だ。あれはおかしい。世田谷は特にくねくねしている。歩いていると面白い。
■さらに、「考える人」に添える写真を撮ろうという趣旨の散歩なのでどうもいけない。うまく撮れないのだ。「考えない写真」を撮らなくてはいけない。面白いものを撮ってはいけないのであって、じゃあつまらないものを撮るのかというとそういうわけではなく、その微妙なあたりでぴたっとくる写真が撮れないものかと歩く。目的のある散歩はあまり意味がない。パークタワービルの地下に入ってしまい紀伊國屋書店の棚を見る。外に出るともう薄暗くなっていた。だめである。仕方なしに近所のインド料理屋でカレーを食べた。

■夜、メールチェックしたら新潮社の文庫担当のIさんと、「考える人」の編集をするN君からメールがあり、出たばかりの文庫『よくわからないねじ』が増刷になったと教えてもらった。文庫がこんなに早く増刷になったのははじめてだ。マガジンハウスから出た単行本を文庫化するにあたり、タイトルを変えた。まったく新しい本が出たと勘違いした人がいて、同じ内容のものを重複して買ったのじゃないかと心配になる。
■このあいだまでやっていたワークショップに参加していたT君からもメール。期間中のこのノートを、忘れないうちに書いてほしいとのこと。そうだった。書こうと思いつつ、ついおっくうになっていた。忘れないうちに書こう。そういえば、パリに行ったときのことも「Paris Note」として書こうと思いつつ先延ばしになっている。パリのことは、ノートに手書きで日記を付けていたので忘れることはない。写真とあわせて書いてみたいのだ。
■そういえばこのところ、寝屋川のYさんといい、以前まで参宮橋に住んでいたT君の日記が更新されていない(と書いて確認したらT君の日記は更新されていてよかった)。かと思うと、「日記休載」と書いていた城田君だが「夏バテ日記」としてしっかり書かれているのでなにごとだまったく。

■最近のわたしの趣味は車庫入れだ。どうでもいいことだけど。

(4:47 Sep.4 2002)


Sep.2 mon.  「残暑はつづく」

■原稿を書いていた。
■ほかにもやらなくてはいけないことがいくつもある。岩崎書店のHさんから何度かメールをもらった絵本の仕事がある。Hさんに申し訳ない。筑摩書房の単行本のゲラが問題だ。締め切りが7月だった。打越さんがかんかんである。新潮社の『考える人』の原稿は書いたが、写真がうまく撮れない。あと大学から届いた書類のことなど、考えていると憂鬱になる。するといきおい眠ってしまう。気が滅入るようなことがあったら眠るにかぎるがうまく眠れないし、さらに気がついたらまたワークショップの仕事を引き受けているので、制作の永井が作ったスケジュール表を見るとめまいがする。
■小説と戯曲に取り組む時間がない。ワークショップばかりやるのも考えものだ。
■そんななか、せっぱつまって『資本論』を読んでいた。はじめ難解だった『資本論』が最近では読むのが楽しくなっていて、あたりまえのことを書くようだが、人間、続けることは大事である。で、ようやく出てきたのが「商品の命がけの飛躍」という言葉だ。「商品」が「商品体」から「金体」へと変化するのをマルクスはこう表現したが、いわば商品による「他者との出会い」であり、または「アウェーで闘う」ということだろう。「アウェーで闘う」のは厳しいが、しかしアウェーで闘ってこそ成長がある。

■ガルヴィの連載のゲラが届いた。「自転車はなぜバックしないのか」について書いた原稿だ。先日、自転車を使ってサッカーをする競技がテレビで紹介されており、驚いたのは競技で使われる専用の自転車はバックができることだ。競技用の特殊な自転車で形態自体ふつうに考えられる自転車とはかなりちがうからバックできるのもしょうがないというものの、「自転車はバックができない」と原稿にきっぱり書いたことを後悔した。だけどあれを見ると驚くよ。「自転車でサッカー」という言葉でイメージできるようなものとはまったく異なるスピード感だ。ただごとではなかった。
■それにしても、選挙はなんてエンターテイメントなのだろう。面白くてしょうがない。

(6:38 Sep.3 2002)


Sep.1 sun.  「下北沢へ」

■11月にリーディングの公演をする。来年の1月に公演のある新作を「読む試み」だ。本公演は世田谷パブリックシアターのシアター・トラムだが、リーディング上演の候補にと新しく下北沢にできた劇場を見学させてもらった。下北沢に来るのも久しぶりだ。日曜日は人が多い。フリーマーケットをやっている通りがあった。いくらフリーマーケットだからってなんでも売っていいってもんでもないだろう。よくわからないものが大量に並べられ売られている。売るのか、それ。笑い出しそうだ。
■劇場を見る。規模は小さいがこういうスペースが新しくできてしまうのが下北沢だ。悪くないと思ったが、環境が「リーディング」という形式にあわない気がした。大量販促の薬局のビルの上にある。入り口がよくわからないし、薬屋に入ってゆくのか劇場に入るのかめまいを起こしそうな奇妙な場所だ。この劇場にふさわしい劇がきっとある。
■そうなのだなきっと。空間だけではなく、場所がどこにあるか。その環境。「劇」は「劇」だけで完結していないのだし、「空間」「場所」を含めて「劇」が出現する、といったことはきっとある。80年代に原宿で舞台ができたのは、あのころの僕の作るものにはふさわしかった。

■そのあと、制作の永井とZACという喫茶店で今後のことなど打ち合わせ。下北沢に限らず、東京は人が多く、喫茶店にしろカフェにしろ、どこか雑然としている。京都のカフェの静謐さはいい。「OPAL」にしろ「コチ」にしろ、「ルゴール」にしてもゆったりしている。贅沢に使った空間もそうだし、そこに漂う空気が豊かな気分にさせてくれる。もちろん東京も好きだが、京都はよかった。
■来年からは大学に新幹線で通う。これまでのように京都で贅沢に時間を使えないのは残念だ。
■新日曜美術館は「横尾忠則」を特集していた。おかしかったのは、番組上差し障りのあるものを見せないように作品を追うカメラだ。うまく隠している。エロティシズムの部屋がすぱっとカットされていた。

■夜、長野の知事選のニュースを見る。知事選ばかりか、様々なニュースがめまぐるしく動きことの本質がよく見えない。もうすぐあの事件から一年になる。

(10:00 Sep.2 2002)