■初日は無事あけた。開場後、建物の二階にある劇場の大きな窓から入口あたりを見ると、ぞくぞくと人がやってくる。アキ・カウリスマキの『浮雲』を思い出す。動員はほんとうに不安だったがかなり埋まった。制作の永井や市の関係者もほっとする。遠方から見に来てくれ方も多いし、京都から来た学生もいる。『JN』の編集者のTさんがわざわざ足を運んでくれたし、僕の舞台によく出ている佐伯はバイクで駆けつけてくれた。とてもうれしい■そして開演。舞台監督の武藤が、「初日から、初日が出た」と言ったとのこと。ある種の緊張感と新鮮さを持って舞台ができた。面白かったのは、劇場に足を運んでくれた地元の人たちがよくしゃべることだった。「あ、弁当食べてる」とか、「あの人、さっき旦那さんやった人だよ」と小声でささやきあう。それはそれで面白い■見れば、照明の数が増えている。少しはわかってもらえたかなと思う。音響、照明について書く気がしなくなったのでその話はとりあえず終わり。袋井から静岡寄りに位置する藤枝市で演劇をやっているという方からメールをもらった。同じようなことが藤枝でもあったとのこと。この「構造」をなんとかしなくては、地方の、演劇ばかりかあらゆることがだめになるのではないか■もちろん、「東京」のほうが先進的なものは多いだろう。問題はそうした先進性をどうやって地方に伝えてゆくか、あるいは、「東京」から来て仕事する者らがどんな態度で仕事をするか。「東京」だけがえらいわけじゃないし、「東京」という言葉を出せばなにか語ったことになると思ったらおおまちがいだ。僕もまたその一人。自分もなにかまちがいをおかしていないかと考える。あと、こうした文化に関わる行政の問題もいろいろあるのではないか。抽象的な議論だけじゃなく、もっと具体的な話が必要になる。つまりお金のことだけどね。なににお金を使うべきかだ。文化のためにはなににお金が使うべきか。それを理解してもらわなければいけない■劇中歌を作曲してくれた桜井君が来て歌唱指導。とたんに歌がよくなる。すごいねしかし。スタジオヴォイスのSさんや、ロッキング・オンの編集者でかつて僕のワークショップに来ていたF君とも終演後ロビーで会う。あるいは、僕と伊地知の小学校時代の同級生たち。出演している高校生は、学校の友達が来たのかロビーは阿鼻叫喚。高校の教師はこういったことを毎日経験しているのだろうか。たいへんだなこれは■高校生たちに、「他者」を意識することを話さなくてはいけないと思った。わーわー騒いでいるその姿を「他者」はいつだって醒めた目で見ている。その「他者」に向かってどのように表現を作るか■
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