■午後、犬の散歩をしに掛川の町をぶらぶらする。東京に住み、京都で仕事をし、袋井で舞台を作っていると、生まれた町への愛着もだんだん薄れてゆく。両親が住む町という程度の感情。城のある公園までゆきたばこを吸う。それにしても、ときどきどこからかやって来ては散歩に連れてゆく人のことを、犬はどう思っているのだろう■夕方に近い時間に新幹線で東京へ■品川あたりからビデオを回し窓の外をずっと撮りつづけた。ただ横に流れてゆく町。ちょうど帰宅の時間か東京駅はひどい混雑。中央線で新宿へ。新宿から小田急。久しぶりの世田谷。家に帰ったら気分が落ち着く。『月の教室』に向けて気力は充分だが、からだのほうがどうもいけない。少々、くたびれた。三日間ほど、ぼんやり過ごす予定。どうも気持ちが「小説」に向かってゆくことができない。舞台をやっているときはどうしても人と会わねばならず、人との関わりのなかで意識が生まれる。「小説を書く」のはやっぱりごく個人的な営為なのだろう。人と関わるのは楽しく、稽古場が僕はとても好きだが、小説を書くときはそれらを絶たなければ僕の場合はだめだ。書けなくてこの数ヶ月、ずっと苦しんでいるけれど、しょうがない、こればかりは。そうしようと自分で選んだことだ。もう十年以上前、ある集団として舞台を作っていたが、「作品」と「集団」の折り合いが悪くなり、「集団」の意味より、僕は「作品」を選んでしまった。それからひとりでここまで来たのだし、これからもきっとそうする。そうすることしかできないのだが■この日記を読んで伊地知をひと目見たいと言い出す者がいま続出している。たいへんなことになってしまった。そんなものを見てどうするつもりだ。ここに書かれている「伊地知」は、「書かれたもの」、つまりエクリチュールに過ぎず、いわば、「伊地知という文字」である。ほんとうに「伊地知」は存在するのだろうか。「こっそり風俗貯金をしている伊地知」は実在する人物なのだろうか。わたしはまだ見たことがない■
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