■僕はたばこをかなり吸う。それでも高校生や中学生のいる稽古場では吸わないように心がけているがふと気がついたらたばこを吸っていた。無意識にたばこに火をつけていたのだった。そのことに自分で驚き、あわてて消しにいった■午後1時過ぎの電車に乗ってもじゅうぶん稽古に間に合うとわかった■掛川から袋井まで七分ほど。そこからタクシー。稽古場はきのうと同じ青少年ホールという場所。まず歩く練習を準備運動代わりにし、2時から台本の稽古に入る。最年長でもう五十歳を過ぎている牧野さんは仕事があってあまり来られない。そこを重点的にやるのと、少し役を変更した部分などやってみる。演劇経験がなくても人は「芝居らしきもの」をする。牧野さん、妙な芝居をするが、「芝居をする」という行為はなぜ人をゆがんだものにさせるのだろう。変なイントネーションでせりふを口にする。そのことを指摘。で、近づいて牧野さんの台本をのぞき見ると、あるせりふの場所に「敬礼」とメモ。笑った。稽古場で相手と芝居をしてはじめて何をどうすればいいかわかるもので、一人で勝手に芝居を考えたところで仕方のない話だ。すると一人で芝居をすることになる。ある特別な場合はべつだが、たいてい演劇は関係のなかで出現する。どんなふうに芝居が展開するかなんて人の身体を通じなくちゃわからない。僕は演出プランなんてものを(俳優の演技に関して)考えたことはない■というわけで、牧野さんと伊地知の場面で少しつまづく■僕にしては珍しく稽古場で黙って考える時間があった。演出する者が黙れば俳優は待たざるをえず、可能な限りそれを避けたいが、きょうはちょっと考えた。で、気分を変える。劇中歌を作ろうと思いそのための準備というか、練習というか、高校生たちが以前のワークショップで突然うたいだした「ゆず」をみんなで歌ってみる。そもそも劇中歌を作ろうと思ったのは、そのこと、突然歌い出したからで、そんなに歌いたいんなら舞台で歌わせようと思ったのだった。まあ、「ゆず」に私はほとんど興味がないものの、歌っている高校生たちが生き生きとするならそれがいいと思ったのだが、もっとも生き生きとしていたのは伊地知だった。伊地知、のりのりである。どうなっているのだこの男は■帰りまた伊地知の車で送ってもらった。途中、CD屋に寄って「ゆず」のCDを買う。資料として。さらにtotoも買ってしまった■
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