[2001年05月26日]


■23日にトリイホールでやった、「ラボ20」のとき、チラシ類に挟み込まれていた「ST通信28号続報」に、監修者の丹野さんと桜井圭介君の対談があった。これが面白い。「ラボ20」は、これまで9回やっているとのことで、毎回、あるアーティストが出演者をオーディション形式で選ぶ。その選考基準について語った丹野さんの言葉■「あと、『自分探し』というかダンスを『駆け込み寺』にしているようなのは避けたと思う」■これほんとによくわかるな。演劇にもぜったいある。幸いにも、僕のところには「自分探し」や「駆け込み寺」として来る人がまずいない。たまには来て欲しいと思うくらいそんなやつは寄りつかない。なぜなんだ■それから桜井君の発言で、「でも、踊りたいことが頭のなかになにもないから苦労しているんだと思う、いまの子供たちはね」は示唆的だし、からだに線を描く呪術的なダンスを見せてくれた天野由起子さんについて、「意外とディープなんだっていうことが分かった。ドロドロしてる。自分をデザインするという感じはないんだよ。でもポップに見える。ま、『天然』っていうことだよね」は、そうそう、それ、って感じだ。「ポップに見える」を「いまのからだ」と置き換えてもいいと思うけど、やろうとしていることの呪術性というか、ラテンアメリカ文学にあるような魔術的リアリズムなダンスとは裏腹な、その身体のもつ「いま」こそ不思議で、しかし、「魔術的リアリズム」なものと言えば、寺山修司になってしまうのにならないところが驚かされる。そうか、こういうことも可能なのか。いや、もしかすると、天野さんはそれを欲しているのかもしれない。そのようなからだ。呪術的なからだ■そんなことを書いている途中でメールチェックしたら天野さんからメール。しまった。感想を送ろうと思っていたのに先を越された■肩から背中にかけて痛いと、一日中、苦しむ。本を買いにゆこうと思ったが、痛みのせいで出かけるのもおっくうになり、ほとんど家にいた。まあ、そういう日もあるな■
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