■一日たってみると、ロフトプラスワンのワークショップについて考えなおし、いくつかの反省点を出したが、まず一番の問題は、これは、「ワークショップ」なのか、それとも舞台上でなにかを見せる「パフォーマンス」の類かといった、コンセプトがあいまいだったこと。するといろいろ考えられ、「参加型イベント」「ワークショップを見せ物にしたもの」「ワークショップの形を借りた宮沢の講演」などあって、どれだか不明確だった■次に、「対象は誰か」が曖昧だった点。ふだんのワークショップでは「俳優志望者」を前提にする場合が多く、外に出てなにかするなど遊びの要素の多い、というか、いわゆる演技術を学ぶのとは異なるワークショップはそのことを募集告知に明記し、たとえば、「俳優にならないためのワークショップ」とうたう■参加者を10の班にわけ、それぞれにヘルパーという手伝いをつけたが、ヘルパーの負担はすごく大きい。短い時間で班をまとめ、うまくガイドし、コンセプトを具体化し、説明し、ひっぱってゆくというのは、かなり力量のいることだ。人選をもっと慎重にしなければいけなかった■で、舞台を使ってなにかするというのは、参加者にしろ、見学者にしろ、いったん「舞台を見る」という体勢にはいると、「ワークショップの受講者」ではなく、「なんらかの見せ物」を見に来た「観客」になる。ふだんのワークショップではこんなことはない。ある日とつぜん集まって、舞台のある場所でなにかするとはこういうことなのだろう■こうして反省点をあげてゆくと、だったら次はこうしようなどと考え、リスクを忘れまたやる気になってしまうからあきれた話だ■そうやってずっと仕事をしてきた■
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