■早朝、『資本論を読む』の原稿を書き終えてメールで送った■書き終えなにやら気分が昂揚したのは、仕事が終わったことばかりではなく、『資本論』を読んで興奮したからだ。これは「経済学」の本ではない。もっと大きなことをとらえた壮大なテキストだ。とようやく気がついた。「経済学批判」というサブタイトルがあることを忘れていた。マルクスはおそらく「経済とはなにか」といった小さな疑問から出発し、それを考えつくすために「経済学批判」を書き、考えつくした果てに、『資本論』という書物としてまとめたのだろう。労働には、「抽象的人間労働」と「具体的労働」があるという二面性を、対立する項として理解し、それがどのように異なるか考えていたが、よくよく読んでいるうち、これはそうではない、「抽象的人間労働」という大きな枠の世界に、「具体的労働」があるとイメージの立て方を変えたとたん、『資本論』が問題にしているのが「経済」というカテゴリーよりもっと根源的な人間そのもののことだと見えてきて、これはただごとならないのではないか、ただごとならぬテキストだと、ひとり走り出さんばかりに興奮したのだ■『資本論』がやけに面白くなってきた。連載をしていなかったら読めなかったかもしれず、読むことをうながしてくれた仕事に感謝する■興奮したまま寝付かれず、昼近くまで起きている。そのあいだ、高校野球を見、小説を読み、ネットを徘徊、あまり『資本論』と関係のないことばかりし、興奮したんなら先を読めばいいものを興奮ばかり肥大してなにかせねば、なにかもっと考えねばと、ばたばたしているうち眠くなって昼の少し前に眠る。目が醒めたのは四時過ぎ■学校にゆこうと自転車で家を出る。研究室の机を後期に赴任する松田正隆さんに渡さなければならず、机の周りを片づけるつもりだった。御池通りを寺町で渡り、そのまま北進、寺町二条の三月書房で一休み。本を買う。買ったら学校にゆくのが面倒になった。あしたでいいか、でも日曜日、学校は開いているのだろうかと不安だが、まあぶらっと外に出るつもりでゆけばいいと覚悟を決め、家に戻って食事■Macをセッティング。これで京都でもWebを作ることができる。この日記はテキストエディタを使ってせっせと作っていた。まあ、プロはエディタで手打ちなんだろうけど、僕はもっぱらGoLive。ヴァージョンが1のときから使っているから愛着がある。なにせ英語版しかないころマニュアルが読めず、HTMLの本を参考書にしつつGoLiveを自力で覚え、それがまたHTMLの勉強にもなった。人間、ないところから出発することのよさは確実にある■いよいよあしたの夜、東京に戻る■
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