■午前中からずっと、『資本論を読む』というJNの連載で苦しむ■東京に帰る前にどうしてもやっておかなければいけないことがあって三時過ぎに学校にゆく。学校にあるコンピュータのデータを家のMacに移す作業だ。いま京都の家のMacは動かない。なぜ動かないか説明すると面倒な話になるが、要するにHDDを認識してくれなくなったからで、新しいHDDを買って初期化、学校でデータをコピーする。家からMacを運ぶのはたいへんである■夏休みの学校は静まりかえっている。どこの学科の学生か、集団でビデオの撮影をしていた。人間館という建物の三階にある舞台芸術センターの部屋で作業。4時半からはじめ、終わったのは夜の10時過ぎ。正面の入口は閉じられ、地下二階、駐車場のなかにある守衛室に鍵を返して帰った■いま僕は小説のことばかり考えており、データをコピーしているあいだも小説を読んでいた。もちろん連載は書かなくちゃいけないけれど、なによりも小説だ。小説のことしか考えられない。待っている人がいる。ずーっと待っていてくれる人がいて、待っているあいだにその人は、「新潮45」の編集長になってしまったから驚きだ。ほんとに待っていたのだろうか■学校で使っているMacはG4。やっぱり速い。studio21というか、舞台芸術センターのWebを作らなくちゃいけないが、なぜ俺が人の舞台の宣伝をしなくちゃいけないんだという気にもなり、いやいやいけない、それを言ってはいけない、自分が関わった二年生の発表公演を報せるページはものすごいスピードで作ったが、人のこととなるとなあ、ちっともやる気にならず、そりゃあそうだろう、そういうもんだよ人間は、いいかげんになるのも致し方ない、って、いや、だめだ、そんなふうにわたしはちっとも思っていないのだった■東京に帰る。小説を書く。小さなことなどどうでもいい。考えるべきことはもっとある。ほんとうに大事なことを、どこか島にでもいってゆっくり考えたい■
●八月分
●京都その観光と生活
●トップに戻る