■終わってから全員で扇町公園にゆく■池のまわりで簡単な打ち上げ。楽しかった。乾杯の時、きょうのまとめを話したが、全体のまとめのなかで話そうと思っていた、ワークショップについての話を忘れていた。ここに書いておこう■僕がはじめてワークショップをやったのは一九九五年だった。そのとき、「ワールドテクニック」という名前でそれをはじめようと思ったことと、その年に発生したオウム真理教事件とは無縁ではない■ワークショップをはじめ、劇団だの、養成所だのといった場所の、演劇のトレーニングの方法に違和を感じ、それとは異なる「場」を作ろうと考えていた。そのとき重要だと思ったのは、「教える」→「教えられる」という構造につい発生してしまう硬直したその関係性だし、無自覚に「教える」→「教えられる」の構造のなかにいることで、「なにも考えなくていい」という甘えもまた出現することだ。オウム真理教事件の陳腐な結末は、こうしたことの果てに現れたと僕には見えたが、それがサリンを撒くという狂的な事態へ進むとすれば、「子供じみた」「陳腐な」「戯画化された宗教」などといって簡単にすますわけにもいかない。むしろ、その組織の姿はこの国の「ムラ社会」の典型だと言えるのではないか。中沢新一は当時ある場所に、「この教団の特徴は信者の一人一人が修行することによって、真理であるシヴァ神と直接に一体になることをめざしたことにありました。シャーマンである教祖をあがめるのではなく、修行者一人一人が真理そのものを体験していこうとした。これはやはり、新しいことであった」と書いた。それが変質する。変質をうながすものはなにか。変質から遠ざかることは不可能なのか。「ほんとうの魂の探求者は苦しみながら社会のなかで生きようとするものです。群衆のなかにいながら、群衆には従うことなく、ただ自分の心に従って生きることこそ、自分の魂を成長させる最良の方法だからです。だから、グルからも離れ、たとえ教団からも離れたとしても、あなたの探求が終わりになるわけではなく、むしろそこから、ひとりになったあなた自身の、ほんとうの探求がはじまるのです」■新しい演劇のトレーニングの「場」は、どんなふうに出現するか。これはまだ途上。もっとできることがあると思えてならない。いま参加者に言えるのは、ワークショップを終えた時点で、また一人になって歩き出さなければいけないということだ。僕はその作業を通じて、「ヒント」は出しても、「解答」はいっさい口にしなかった。そもそもこのワークショップに「解答」はない。「考える場・発見する場」としてのワークショップ。よりかかるものはなにもない。空虚な場所に一人で立っていなければならない。その立ち方だ。それはただ立っている姿であり、ただ立つとき、世界と差異が生じるからこそ表現が出現する。それが現時点で僕の考える「世界技法」だ■
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