[2001年07月23日]


■JNの原稿を書く。「資本論を読む」というタイトルの連載。当然ながら今月も資本論を読んだ。「商品」の項は難解である■関西の言葉について以前も書いたが、ある人によると、和歌山県は「ざ行」の言葉が、「だ行」になるそうだ。たとえば、次のような言葉がある。「象が雑煮をこぼしたので雑巾でふくと雑然とした座敷になる」。これを和歌山県の人はこう口にするそうだ■「どうがどうにをこぼしたのでどうきんでふくとだつでんとしただしきになる」■神戸でもこうした傾向があるらしく、またべつの人の話によれば「みぞにはまった」を文字にするときさえ「みどにはまった」と書く人がいるそうだ。ワークショップの「町の会話を録音する」という課題以降、関西の言葉が気になる。なにしろ、それは関西の言葉であると指摘すると、「標準語だと思ってた」と平気で言う。だが、どっちが歴史的に古いかわからない。どう考えても関西のほうが歴史があるのではないか。「標準語」という言葉もまた、奇妙な概念だ■しかし、わたしは関西人の影響を受けない。ときどき、ぽろっと関西風のイントネーションになってしまうときがあり、それが恥ずかしい■
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