■睡眠不足。昨夜、家に戻ってから食事をしすぐに眠ったものの、深夜の二時頃眼がさめる。それから再び眠ろうと思ったがもうだめだ。眠れない。この日記を書き、そのまま朝まで起きて、学校へと向かう。九時から「スタッフワーク」の授業。先日の公演、『あの小説の中で集まろう』のスタッフワークを中心にした合評。照明の岩村さん、美術の池田さん、太田さんが参加。学生の出席が少ない。学生には、僕の授業を取っていて両方の授業にかぶっている者と、そうでない者がいる。いろいろな意見が出て面白かったし、あらためてこうして話をする場があるというのはすごくいい■デザイン的なというか、抽象的な捉え方をした美術の中に、「地下室の倉庫にある巨大な箱」という具体物が突然出現する違和について太田さんの指摘。「デザインとリアリズムの混乱」は、美術にも、照明にもあったのではないか。照明についてそのことを照明を担当した学生に少し意見したが、僕も見落としている部分がいろいろあった■とてもいい授業だ。寝不足じゃなければもっと頭が回ったはずなのだ。もったいないことをした。あとすごくうれしかったのは、以前、この日記に書いた「稽古から逃走するS君」の発言。「自分が芝居をしている姿は見られない。だとしたら、人が稽古をしているのをよく見る必要があるのではないか」と。この成長はすごい。稽古の中でそのことを発見した。「見ることの重要性」の発見。俳優の経験などまったくなかったS君がここまで成長しているとはほんとうに驚かされた■久しぶりに65番のバスで家に戻る。夕方から扇町でワークショップがあるので眠っておかなければと思っているところへ、『一冊の本』のOさんの原稿催促の電話。書き上げる。一時間ほど眠って阪急で大阪へ■七時からワークショップ。「町で録音した人の会話を再現する」という課題の発表。面白かった。京都班は京都以外から来ている学生が中心の班だ。うまく京都の言葉を口にしているが、その直後、神戸や大阪の参加者たちが日常のごくごく小さな断面を切り取って見せてくれると、言葉のナチュラルさはやはりこっちがネーティブな関西の言葉だと感じさせられる。ごくごく微細な差異だが確実にそれはある。身体性が高いということだろうか。からだの深いところから言葉が出てくるような印象。町の若い男女四人がどうでもいい話をしている。その再現。ふわふわ浮き上がるような日常の時間が心地よい。言葉だけで出現するその時間の空気。もちろん、京都班はじめ、各班それぞれ面白く、言葉を採集するこの課題が関西でもできたのはとてもよかった。全国各地でこれをやってみたいと思った。言葉の採集はたとえば沖縄に行きたい■眠い。ひどく眠い。話している途中で少しふらつく。だめだな、しっかり眠らなければいけない。調子が出なくてみんなに申し訳ない気持ちになる■
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