[2001年07月01日]


■日曜日。昼から稽古。学生の集まりが悪くてなかなかはじめられない■仕方がないので照明のチェックをする。照明を担当するKが作ったあかりを場面ごとにあててみる。僕の方針をわかっているということか、それとも、本人がそれがかっこ悪いと思っているのか、照明にねたを仕込んだ「もわもわした明かり」を作るようなあかりがなくて幸いだ。もっとよくなるはず。照明を見るだけという話だったがまだ来ない学生がいるのでさらにきっかけも練習する。代役を立てつつ芝居と合わせ、こうなるともうテクニカルリハーサル。「場当たり」の必要がないかもしれない■結局、芝居の稽古は夕方からになった■流してやってみては気になるところをチェック。そこを繰り返し稽古。まだ安定感がない。せりふがなかなか入らない者もいて、せりふを必死に思い出そうとすることにばかり気を取られ、芝居にならない。シンナーを塗っていた者がちょっとおかしくなってしまったというどうかと思うような場面を繰り返す。すると新しい演出案も生まれそのことでクヌギ役のKなど生き生きとする。少しずつ前進。ほんとに少しずつだが■八時をまわるころになるとさすがに疲れてきた■「終わったよ、俺は終わった」と口にして稽古を終える。そういえば、稽古を終わることを「とる」とよくいうが、学校では口にしたことがない。そもそもなぜ「とる」なのだろう。むかし誰かが言っていたのをまねしたんだと思う。なぜ「とる」なのかいまだにわからない■帰り三条河原町までバス。そのまま歩いて帰る途中、三条通りの京都アートコンプレックス前に、キューブリックの『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスが横になって二つ並んでいるのでどうしたのかと思ったら、まゆげが太く独特で取って付けたようだと人から言われている立命館のH君のまゆげだった。というかH君がいた。まったく人騒がせな男である。アートコンプレックスでやっている舞台に出ていたそうだ。きのうワークショップの親睦会と二次会でさんざん飲んでいたくせに翌日舞台に立つとはなにごとだ。よくそのまゆげがアートコンプレックスに入ったものだ。なにしろ、このあいだうちにH君が来たとき、「まゆげを洗わせてください」と言い、そもそもまゆげを洗うというその状況が問題だが、許したのがまちがい、シャンプーを一本使いきってしまった。恐るべき男だ■家に戻る。シャワーを浴びると気持ちのいい季節。一日に三度はシャワーを浴びたい。学校にあればいいのに。後藤明生さんの評論集を再読。横光利一の『機械』についてその方法の分析。面白い。それにしても後藤明生さんの昔の小説が手に入りづらいのは問題だ。といっても、探す時間がそもそもないのだが■
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