[2000年12月10日]


■朝、「資本論を読む」の連載を書き上げメールで送った。で、ちょっと気分が落ち着き、岩波文庫に入っている尾崎一雄を読む。面白いので驚いた。そもそも尾崎一雄の小説は「貧乏ユーモア私小説」と呼ばれていたらしくたしかに妻について書いた部分、妻の奇矯はユーモアなんだろうが、いま読むとあまり面白くない。むしろ本気でそう考えているのではないかと思わせる「私」のつぶやきが笑う。ぼんやり考え事をしていると横から妻がくだらないことを言うと怒るが、そのとき「私」は友人に借金をすることを想像していた。自分は友人にこんなふうにいうのじゃないかと考える■「電燈を止められたんだ。瓦斯は先月から来ていない。それは、金を払わないのは悪いかも知れないが、しかしこうなればこっちのせいじゃないよ。俺だって生きてるんだからね、何はともあれ電燈位灯いたっていいじゃないか」(『芳兵衛』)■この、「しかしこうなればこっちのせいじゃないよ」はどうなっているのだ。「何はともあれ電燈位灯いたっていいじゃないか」もすごいが、そもそも「何はともあれ」がよくわからない■しみじみとした読書である。マルクスは『資本論』を執筆中、頭を休ませるために微分積分などの問題を解いていたというが、僕は『資本論』を読むあいま、こうしてしみじみとした読書をする。京都は朝からこまかい雨が降っていた。外に出るのがおっくうだ。それで少し小説を書く■

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