■最近、このノートでは「■」を多用しているわけだが、その件に関してメールをもらった。全文、引用する。「最近文章中で『。』の変わりに■を使っていますが、非常にみにくいです。やめていただきたい。早急に願います」とある。本文中に、自分が何者であるかなど一切なく、いきなりこうくるので、礼儀を欠いた書き方も気になるが、しかしこの依頼の内容が僕には面白かった■まあ、一言でいうと、「だったら読まなきゃいいじゃないか」ということになるが、それはひとまずおいといて、1)この人はどうやら僕の文章が読みたいらしい。2)だが、デザインが読みにくいと感じている。こう考えてゆくと、文章と同時に僕がデザインをすることがどういった意味になるのかがここに現れている気がする。読みにくかったら、無理して読まなければいいが、どうやらデザインを改変してもらってでも読みたいようだ。たとえば、「文章を書く人」と「デザインする人」がそれぞれ異なるのだったらわからないでもない。「デザインする人」に、「読みにくいからデザインを変えろ」と意見するのは正しい。もしかすると、「文章を書く人」にとってもそのデザインは意図しないものかもしれないからだ■では、「文章を書く人」と「デザインする人」が同じ人間だった場合、これをどう考えればいいのだ。「デザイン、あるいはレイアウトを含めたテキスト表現」としか言いようがない。Webは、それを簡単に可能にする。テキストの筆者がデザインすることがほかのメディアより比較的、たやすいということだ。だとしたら、ほんとはもっと実験的なことができるのではないかと、可能性をこのことから知ることができる。いま僕がこのページを作る上では、「読みやすい」ということを第一に考えており、たとえば、行の間隔をCSSを使って通常より開けているのもその一つだし(なにしろ、Windows上のNetscapeではただ表示すればぎっしり文字が並び読みにくいことこのうえない)、日付と同時に、「小見出し」のようなものを付けたのも一例だ■なぜ、こんなに親切にするのか疑問がわく。まあ、読んでもらいたいから最大限の努力をするということであろう。暗い部屋で僕の本を読んでいる人がいたら、明かりをつけましょうと親切にすると思う。で、「■」だが、読みづらいのだろうか。これ、僕の中では、「天声人語方式」と読んでいて、これもまた、「読みやすいように」と思ってしたことだったのだ。うーん、わからない■
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