■共同通信の小川さんにほんやら洞で会う。「ほんやら洞通信」にあった小川さんの文章が面白くて、そう店の人に話すと連絡をしてくれ会うことになった。もう何年か前、共同通信を通じて全国の新聞に配信される連載を書いたが、そのとき小川さんはデスクをやっていたという。文學界のOさんはかつて共同通信にいたので、当然だがよく知っているし、新潮のNさんのこともよく知っている。世間は狭いというか、文学業界は狭いというか■亡くなられた作家の桐山襲さんの話を聞いた。ガンで死ぬ直前、自分が死ぬ時間を計算し、最後まで小説を書いていたという。死ぬ三日前、「きみのことを書いたよ」と奥さんに原稿を渡した。『未葬の時』という遺作。桐山さんに関しては『未葬の時』(講談社文芸文庫)の巻末の解説・年譜に詳しい。知っている人は知っていると思うが、自分の正体を徹底的に隠した作家だった。親しい友人の記者や編集者にも住所を知らせなかった。ほんとうのことを書こうとすると、この国ではそうして正体を隠さなくてはいけない事態はいまだ存在し、ある評論家は天皇について書いてからずっと追われ、「お子さんはきのうこういう服を着ていましたね」と脅迫の電話があるという■書くことには、いろいろ面倒なことがつきまとい、面倒がいやで自主規制するのがいまの風潮に感じるが、「ほんとうのことを書く」ことが面白いと小川さんはおっしゃった。昭和天皇が死んだとき、ほんとうのことを書いた作家や評論家はごくわずかだとも■しかし正直なところ、桐山襲という作家に僕が惹かれるのは、存在の物語性かもしれない。全共闘世代のロマンチシズムや特有のセンチメンタリズムの色濃い作品はときにいやなものを感じるが、『パルチザン伝説』はロマンチシズムが物語と共振し、最良の形でより強い力を物語に与えていると思った。おそらく、それと同様なものを、「存在」そのものから受けるのだろう■
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