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SMALL WORLD |
夏、読むのにふさわしいのはドストエフスキーの『悪霊』である。なにしろ、『悪霊』だ。夏に読むしかないだろう。もう何度目になるか忘れたが、今年もまた、私は『悪霊』を読んでいる。夏休みの読書感想文というやつを俺も書きたいよ。
夏、若者がついつい読みがちなのが、太宰治だ。しかし、太宰治を若いうちに読むのはあまりすすめられない。だって、単にだらしないやつだぜあんな人。三島由紀夫が太宰治について語った言葉を忘れてはいけない。
「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で直される筈だった」
すごいことをいきなり書いているのだ。さらに三島は言う。
「第一私はこの人の顔が嫌いだ」
好きか、きらいかは個人の自由だが、その根拠は次のようなものだ。
「女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない」
どうやら、「文学の道」はきびしいのである。
だから、ここはひとつ坂口安吾でゆきたい。なんだかよくわからない「文学趣味」と、坂口安吾は無縁だ。
考えてみれば、「文学趣味」は、「文学主義」と似ている。あるホームページで次のようなものがあった。
「共産趣味者宣言」
夏は修行の季節である。汗をだらだら流しながら本を読むのだ。 |
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豪徳寺は、東京都世田谷区、小田急線沿線の小さな町だ。そこにはどんな不況の風景があるのだろうか。 |
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これは銀行の崩壊か。降ろされたシャッターの前は花屋になっていた。

疲れきった人々。なぜか右側しか歩かない。
豪徳寺に不況を見た、ような気が、する。ごくひっそりと、さりげなく、それはそこにある。 |
不況だ、不況だとニュースは声高に伝えるが、その不況をこの目で見ようと小田急線豪徳寺の町でそれを探した。
はたして、豪徳寺に不況はいるのだろうか。

人影もまばらな、日曜日の午後の豪徳寺商店街。
やはりこれも、不況のせいなのだろうか、道行く人々の姿も心なしか、さみしげに見える。夏だというのに、通りにはどこか冷たい風が吹いていた。 |
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不況のせいなのか、それとも、豪徳寺商店街がそもそもそうなのか。

商店街のなか建築予定のたたない空き地。猫たちの格好の遊び場だ。
だが都内の空き地など、いまならどこでも見られる光景だ。これが不況なのだろうか。もっと大変なことがこの日本で起こっているのではないか。ネコなど見ているひまはない。不況はどこだ? |
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<取材後記> 日本の経済を知りたいからといって、やみくもに町に出ても意味はない。まして豪徳寺に行くのはまちがいだった。 |
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